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慎太郎さん 裕次郎さんのスターへの道つくった“プロデューサー”「双生児のようだった」

[ 2022年2月2日 05:30 ]

石原慎太郎氏死去

若かりし頃の石原慎太郎さん(左)と裕次郎さん
Photo By スポニチ

 東京都知事を13年半務め、タカ派政治家の代表格としても知られた元衆院議員で作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんが1日午前、東京都大田区の自宅で死去した。89歳。膵臓(すいぞう)がんを昨年10月に再発していた。神戸市出身。一橋大在学中の1956年に芥川賞を受賞した小説「太陽の季節」の映画化で、弟の故石原裕次郎さんを俳優としてデビューさせた。

 慎太郎さんは戦後文化を華やかに彩り、昭和、平成、令和の3時代に存在感を発揮し続けた。昭和の大スター、石原裕次郎を生み出したのも慎太郎さんだ。

 一橋大在学中に書いた小説「太陽の季節」(1956年)は、新時代の若者像や風俗を示して世間をあっと驚かせ、当時史上最年少の23歳で芥川賞を受賞した。のちに映画化され、裕次郎さんが俳優デビュー。無軌道な行動を取る「太陽族」と呼ばれる若者たちが出現したほか、慎太郎さんの髪形をまねた「慎太郎刈り」までもが大流行した。

 身長1メートル81のスラリとしたスタイルで、整った顔立ち。自身も外見に自信があったようで「裕次郎より俺の方が美男」と冗談交じりに語ったこともあった。

 高校時代に汽船会社に勤めていた父親が死去。「親父が早く亡くなったので弟と2人で世の中を渡ってきた」と常々口にし、2歳年下の裕次郎さんの“プロデューサー役”も買って出た。小説「狂った果実」(56年)の映画化を申し込まれた際には、裕次郎さんの主演を条件にした。その後、裕次郎さんは従来の権威に反抗するような型破りな若者として人気を博すことになる。裕次郎さんが大スターになるきっかけは慎太郎さんだった。

 兄弟そろって第一線で活躍しても、2人の絆は強固だった。「双生児のようだった」と慎太郎さんは振り返っている。68年に参院選に出馬以降は作家だけでなく、政治家の顔も持ったが、裕次郎さんは政界への進出にも全面協力。街頭演説の応援に駆け付けることもあった。

 87年に裕次郎さんが52歳で他界。その後も慎太郎さんは、裕次郎さんの存在を世の中に伝え続けた。その栄光と死を小説にした「弟」は120万部のミリオンセラーになった。

 2020年1月に膵臓(すいぞう)がんが分かった慎太郎さん。「肝臓がんで苦しみ抜いて死んだ弟の裕次郎を思い起こさぬわけにはいかなかった」。同年6月、月刊誌に病名を告白した際、こう述べていた。生涯300冊以上の本を上梓(じょうし)。政界引退後の16年には田中角栄元首相の生涯を「俺」という一人称で描いた「天才」もベストセラーになった。脳梗塞を患い、利き手の左手の自由を失った後も執筆をやめなかった。弟への思いを胸に、終生にわたって作家であり続けた。

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