石原慎太郎さん 89歳で死去 最後まで作家 昨年末に短編小説まとめる「これが俺の遺作」

[ 2022年2月2日 05:30 ]

石原慎太郎さん死去

石原慎太郎さん
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 東京都知事を13年半務め、タカ派政治家の代表格としても知られた元衆院議員で作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんが1日午前、東京都大田区の自宅で死去した。89歳。膵臓(すいぞう)がんを昨年10月に再発していた。

 慎太郎さんが昨年12月に短編小説を取りまとめていたことを明かした伸晃氏。「大変良い上下巻の本が出来上がったと喜んでまして“これが俺の遺作だなあ”と話してました」と述懐。先週まで執筆活動を続けていたといい「これから本が3冊出ます。最後まで作家として仕事をやり遂げた」としのんだ。

 2013年に脳梗塞を発症したほか、膵臓がんも患うなど、近年は体調を崩していた。伸晃氏によると、昨年10月に膵臓がんが再発。「本当によく闘い、頑張ってきた」と話した。葬儀・告別式は家族のみで行い、後日お別れの会を開く。

 1950年代に文壇を席巻し、政界デビューしたのは68年。自民党公認で参院全国区に立候補し、史上最多の300万票を超える得票でトップ当選した。任期途中の72年に衆院にくら替えも75年に辞職、今度は都知事を目指したが、現職の故美濃部亮吉氏に敗れた。

 76年に衆院議員に復帰し、環境庁長官、運輸相などを歴任。衆院通算8期目の95年、議員勤続25年表彰の当日に辞職を表明。「ほとんどの政治家は保身の目的のためにしか働いていない」と言い放った。73年には、前年の日中国交正常化・台湾断交に反発し、党内若手集団「青嵐会」を結成。自らが主導して、会員名簿に血判状を押させたことは今でも語り草になっている。

 再び脚光を浴びたのは99年の都知事選再挑戦。圧勝後の会見で「都庁で会おうぜ」と発言、話題を呼んだ。

 東京五輪の招致、ディーゼル車の排ガス規制などに取り組んだ一方、12年の訪米中には沖縄・尖閣諸島を都が購入する意向を表明。国有化につながった。

 強面(こわもて)のイメージが強かったが、11年3月に起きた東日本大震災の福島第1原発事故で被ばく覚悟の放水活動を行った東京消防庁ハイパーレスキュー隊の隊員に涙を流しながら謝意を伝えたこともあった。活動報告会の場で「皆さんの家族にすまないと思う。もう言葉にできません」と何度も言葉を詰まらせ、深々と頭を下げた。

 4期目途中の12年、自主憲法制定を目指し知事を辞職し再び国政へ。当時の橋下徹大阪市長が率いる日本維新の会に合流し復帰を果たしたものの、路線対立で同党は分裂。次世代の党の最高顧問として臨んだ14年総選挙で落選、政界から身を引いた。「言いたいこと言って、やりたいことやって、人から憎まれて死にたい」――。引退会見でも慎太郎節をさく裂させた。

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2022年2月2日のニュース