仙台出身・岩井俊二監督 未来に残す故郷の実像「いつか震災を題材に作品を」

[ 2021年3月11日 05:30 ]

東日本大震災から10年――忘れない そして未来へ(11)

インタビューに応じる岩井俊二監督
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 被災地ゆかりの人たちが「あの日」の記憶と、その後の10年を振り返り、被災地にエールを送るインタビュー企画。第11回は仙台市出身の映画監督・岩井俊二氏(58)です。

 昨年12月、NHKの復興支援プロジェクト「花は咲く2021」のロケで故郷仙台市の海沿い、荒浜地区を訪れた。津波に襲われ、近くの荒浜小学校は震災遺構として公開されている地だ。

 「更地のままという状態で、何もなかった。10年前はほとんどの家が流されて、基礎だけが果てしなく残っていたんですけれど、それもなくなっていた。再開発などをする感じもなくて、復興したという景色ではなかった」

 10年前のあの日、米ロサンゼルスで東京のスタッフと打ち合わせ中、電話口の向こうが騒然となり地震発生を知った。慌ててテレビをつけると震源は東北。津波が家屋を押し流す映像に「ぼうぜんとするしかなかった」という。

 5月には荒浜のほか、塩釜市、石巻市を回った。友人やそれを介して知り合った被災者に話を聞き、さらなる衝撃を受けた。

 「一人の人から話を伺っても、本当にたくさんの人が亡くなったと実感させられる。被災地を考える時に、生き残った人だけではなく亡くなった方の人生も含めて考え続けないと違ったことになる気がしました」

 その記録をドキュメンタリー「friends after 3・11」に残した。作詞を手掛けた復興支援ソング「花は咲く」の歌詞にも思いを注いだ。

 「自分個人が故郷を思いながら書く言葉の方が、理解されやすいと思いました。東北人のメンタリティーは分かるので、大声で頑張ろうというよりは、隣で寄り添って語り掛けるような言葉がなじむのではないかと」

 「花は咲く」は12年3月に初めて披露されてから、さまざまなバージョンで今なお歌い継がれている。20年公開の映画「ラストレター」では、初めて故郷でロケを行った。10年前、石巻の居酒屋の女将から聞いた「泣ける映画を持ってきてよ」という言葉も心の奥底にとどまっていた。取り壊される直前の建物なども使用でき「奇麗なロケーションがたくさんあって、懐かしさより新しさの方に目を奪われていました。失われていく景色の際で撮影したことで、自分の中に別の物語が誕生した感じもある。また撮りたいですね」と感慨深げに振り返る。

 映画監督をなりわいとするからこそ芽生えた思いもある。

 「物語を作るのが仕事なので、いつか震災を題材に作品を作るかもしれない。そういう形でこのテーマを抱き続け、作品という形で向き合っていければと思っています」

 映像として残すことが、震災の記憶を風化させない最善の指標になる。(鈴木 元)

 ◆岩井 俊二(いわい・しゅんじ)1963年(昭38)1月24日生まれ、仙台市出身の58歳。88年からドラマやミュージックビデオをはじめ、多方面の映像世界で活動。94年「undo」で映画監督としてのキャリアをスタート。主な映画作品に96年「スワロウテイル」、01年「リリイ・シュシュのすべて」、16年「リップヴァンウィンクルの花嫁」など。

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