大河「麒麟がくる」石川さゆり(上) 共演者と織りなす絶妙のハーモニー

[ 2020年9月24日 10:00 ]

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀の母・牧を演じる石川さゆり(C)NHK
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 【牧 元一の孤人焦点】NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、主人公の明智光秀(長谷川博己)の母・牧を演じる石川さゆりに魅(み)せられている。

 歌手の時とは印象が違う。「津軽海峡・冬景色」や「天城越え」を歌う時のような圧倒的な存在感がない。少し離れて子を見守る、控えめな母を自然に体現している。

 インタビューに応じた石川は「今回は紅白歌合戦ではなく、光秀を見守る立場、支える立場です。長谷川博己さんが昨年の紅白にゲスト審査員でいらっしゃって、年が明けてからお会いした時、『ここでお会いするさゆりさんと全然違いました』と言われました。そう感じていただけたのなら、それは歌い手としてうれしいです」とほほえむ。

 ステージで常に中央にいる人が脇に回る。ふだん存在感のかたまりのような人が存在感を薄める。常に強い光を放つのがスターの特性であることを考えると、それを実行するのは難しそうに思える。

 「そうしてみたいと思いました。そういう場所に自分の身を置いてみたいと思ったんです。歌い手は自分が中心に立って旗を振りながら進んでいきます。いつも張っていて、引くところがありません。そういうことを50年近くやって来たので、そうじゃないことをしてみたかったんです。お芝居をしていて、支えていくことの楽しさも感じました」

 歌うことも演技することも、何かを表現して伝えるという点では同じ。演じる時と歌う時ではどんな違いが生じるのか、興味深いところだ。

 「歌には音符、拍子があります。でも、役者さんの言葉には音符も拍子もありません。台本が譜面なのかもしれませんが、それぞれの役者さんが役作りをして、いろんなアプローチで演じますから、より自由な感じがします」

 役者は事前に台本を読んで芝居を考える。しかし、それで芝居が固まるわけではない。現場に入れば共演者がおり、その人にはその人なりの芝居がある。演出家の考えもある。それらが合わさって一つの芝居が完成する。

 「自分が台本を読んで考えたものをそのままやっても独りよがりになってしまいます。私はどうしても声が音楽に聞こえてしまうんです。お相手の方が低い音で出ていらした時、私も同じ低い音で出て行くのか逆に高い音で出て行くのか考えます。今回、音楽的な思考でセリフの音を探していることに気づきました。『言葉のセッション』をしている感じです。最近、YouTubeを始めてアコースティックで歌いましたが、ステージで歌う時よりセッション度が高かったんです。その感覚がドラマで役者さんと芝居をするのと似ています」

 共演者と織りなす絶妙のハーモニー。あの魅力的な芝居は、生来の音を聞く力、音を生む力、音を合わせる力によって生まれているのだと思った。(つづく)

 ◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴約30年。現在は主にテレビやラジオを担当。

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