【内田雅也の追球】28歳の野球少年 藤浪が見せる「enjoy」が安定感の源

[ 2022年8月28日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神5―1中日 ( 2022年8月27日    バンテリンD )

<中・神>中日に勝利し、勝ち星を挙げた藤浪(中)はベンチで手を叩く(撮影・椎名 航)
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 阪神・藤浪晋太郎はどこか楽しそうに投げていた。幾度かピンチを背負ったのだが、あわてたり、動じたりせず、その現状を受けいれ、立ち向かっていた。ベンチに帰ると、梅野隆太郎と笑顔で会話していた。

 7回1失点で2勝目をあげた。ダヤン・ビシエドと大島洋平に与えた2四球はいずれも走者二塁で一塁が空いていた場面だった。やみくもに勝負にいかない冷静さが最少失点につながった。

 これで登板3試合続けて7回1失点と安定感が際立つ。制球が安定したというフォームなど技術面ばかりでなく、精神的にも非常に落ち着いているのではないか。

 幾多の試練を乗り越えてきたからこその境地と言えようか。以前も書いたが、広い意味で「楽しむ」と訳される英語enjoyには苦しみも楽しみも受けいれる(享受する)という意味がある。

 藤浪はいま、投球を、野球を楽しんでいる。そのプレーに少年性がかいま見えるようだ。子どものころ、野球を楽しんだという原点が力になる。

 野球を愛した詩人サトウハチローに『村山実とつみ木』という詩がある。<なにもかも忘れて/子供は つみ木をつかむ/重ねる 重ねる つみ重ねる>と書き出し、<村山実には/そのわらべごころが豊富に残っている/つみ重ねるよろこびと/力投するうれしさは/全く同じだと手をたたき>と続ける。常に全力で立ち向かい、悲壮感すら漂わせた村山の力投に無心に遊ぶ童心をみていたわけだ。この日の藤浪も少年が遊ぶように、1球1球、投球を積み重ねていったのだ。

 山際淳司が『野球少年』=『アメリカスポーツ地図』(角川文庫)所収=に書いていた。<野球選手はいくつになっても“kids”であり“boys”なのである。エキサイティングなゲームをつくりだすのは、かれらのなかにまだ「少年」が棲(す)みつづけているからなのだ>。

 アメリカでは野球選手のことを俗に「ボーイズ・オブ・サマー(夏の少年たち)」と呼ぶ。季節は晩夏。猛暑の夏も過ぎゆこうとしているが、野球選手は夏の輝きを失ってはいけない。

 藤浪も10年目、28歳になり、少年のように野球を楽しむ心が備わってきたとみている。 =敬称略=
 (編集委員)

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