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阪神ドラ3・桐敷拓馬 挫折を機に成長した「心」 「技」を磨き「体」を鍛え完全試合を達成

[ 2021年12月5日 05:30 ]

阪神新人連載「猛虎新時代の鼓動」3位・桐敷(下)

阪神ドラ3・桐敷
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 拓馬は高校2年冬、新潟医療福祉大の佐藤和也監督(現総監督)から初視察を受けた。きっかけは当時、同大学コーチを務め、拓馬を本庄東高時代にも指導した鵜瀬亮一現監督の推薦…ではなかった。

 「(佐藤監督が)関甲新リーグの審判から本庄東高校にいい左ピッチャーがいるってことを聞いて。桐敷は人間的に素直なんで、私が来いと言ったら他に行きたい大学の希望があったとしても来る気がしたので、あまり私は何も言わなかった」

 あくまで拓馬の野球人生――。鵜瀬監督はその意思を尊重する形を取ったが、本人が新潟医療福祉大にひかれてくれた。「同じ左投手の笠原祥太郎さん(現中日)が1期生でドラフト指名されたり、たった4年間で他の強豪校に太刀打ちできるようになったのは何かいい理由があるんじゃないか」と新潟の地を踏むことを決断した。

 新天地での飛躍を期した拓馬。最大の挫折が訪れたのは、大学2年春だった。4年生エースの故障もあってリーグ戦で先発の一角を担うも、炎上続き…。「監督さんだったり先輩方に申し訳ない気持ちと、やっぱり力不足で悔しい気持ち。それに対してイライラも出てきて常に(コーチに対しても)半信半疑以上(に疑いが強い)ぐらいの感じでやっていた」。負の感情から大矢真史投手コーチの言うことも聞かず、鵜瀬監督から4年間で唯一とがめられたという。

 「監督に言われて、人の意見を取り入れる重要性を2年生の時に学べた。ありがたい言葉をいただいたなと」

 挫折を契機に拓馬は変わった。まず重点的に取り組んだのは下半身の強化。たとえば通常の練習メニューに加え、自ら複数パターンのボックスジャンプを練習の主要メニューに取り入れた。大矢コーチも「下半身がしっかりしてきたのと、力の出し方が分かってそれをロスせずに指先まで伝えられることができるようになった」とその成果を証言する。この頃から飛躍的に球速が伸び、入学時130キロ後半だった最速を150キロまで伸ばした。

 さらに、課題としていたスライダーも磨いた。「キャッチボールの30メートルの距離で変化球を強く投げようと。普段のキャッチボールで腕を振ってスライダーを投げる練習」を大矢コーチから勧められ、改善。「スライダーの時だけ他の球種と腕の振りが違っていた」という課題を4年時に克服し、ドラフト上位指名、そして関甲新学生リーグ史上初の完全試合につなげてみせた。

 拓馬の取り組み、姿勢を見守ってきた鵜瀬監督は言う。「何か悪い結果が出た時にマウンドのせいとか審判のストライクゾーンとか矢印を外に向ける選手が多いけど、彼はどんな結果が出ても矢印を自分に向けて反省できる人間。それが4年間の間に150キロが出ても、三振の記録を作っても、リーグ戦で1点台の防御率をたたき出しても、崩れなかったこと。一番最後の試合で完全試合ができた、ドラフトが終わってもなお成長し続けられた一番の要因」。謙虚な「心」を胸に「技」を磨き「体」を鍛えて成り上がった左腕。プロでも、同じ道を歩む。(阪井 日向)

 ◇桐敷 拓馬(きりしき・たくま)1999年(平11)6月20日生まれ、埼玉県出身の22歳。屈巣小1年から野球を始め、川里中では行田リトルシニアに所属。本庄東では1年秋からエースも甲子園出場なし。新潟医療福祉大では1年秋からリーグ戦に出場し通算33試合で11勝7敗、防御率2.27。4年秋の平成国際大戦でリーグ最多19奪三振でリーグ初の完全試合を達成。1メートル78、90キロ。左投げ左打ち。

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