【侍JAPANの原点 2】日本ハム・近藤 巧みな技術開花させた「野球以外」の経験

[ 2021年7月21日 05:45 ]

フリー打撃をする近藤(撮影・篠原岳夫)
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 日本ハム・近藤の巧みな「ハンドアイコーディネーション(手と目が一体化したような動き)」が養われた原点は、小学校低学年までの運動体験が大きい。父・義男さん(61)は、中学校教諭、侍ジャパンU15軟式編成委員長、日本中学生野球連盟専務理事などを歴任。多くの子供を指導してきた経験を、我が子の成長過程に反映させた。

 「小さい頃から野球、野球とならないように(神経系が著しく発達する)ゴールデンエージ(9~12歳)まで、いろいろやらせた。いろいろやっておいた方がいいと知識的に分かっていた」

 近藤は幼少期から水泳、テニス、バドミントン、剣道を習い、家では卓球、体操に興じ、わんぱく相撲にも出た。しかし、強制するのではなく、義男さんが興味を仕向け、近藤も好奇心旺盛な性格で何でものめり込んだ。「うまくなりたいという好奇心が今の打撃につながっている」。小1までは右打ちだったが、「左で打ってみたら癖がなくいいフォームだった」と変更。当時スター選手だった左打ちのイチロー、松井秀喜に魅了されたことも大きかった。

 侍ジャパンの稲葉監督から、ソフトバンク・松田の後継者としてムードメーカーに指名されたことにも父はうなずく。「小学校は1学年4クラスで全学年で24クラスあったけど、健介が3、4年の頃に“全部のクラスに友達がいる”って言ったんです」。その性格を生かし、主役ぞろいの侍ジャパンにおけるグラウンド内外でのつなぎ役に期待する。

 「主役だけじゃチームは勝てない。四球でつないだりして、健介が活躍しなくてもチームが勝てるのがいい。稲葉さんは脇役になれる選手を求めているんじゃないかな」。19年のプレミア12で近藤は、チーム最多10四死球で出塁率・452を記録して優勝に貢献。常勝軍団には必ず、名脇役がいる。(東尾 洋樹)

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