【藤川球児物語(11)】4年目で涙のプロ初勝利 裏には星野仙一氏の期待と“親心”が

[ 2020年11月23日 10:00 ]

02年9月11日、プロ初勝利に涙する藤川
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 2002年から阪神の指揮を闘将・星野仙一が執ることになった。藤川球児は入団3年間未勝利で01年は右肩のコンディション不良に悩まされ1軍登板なく終わっていた。背水の4年目を迎え背番号を30から92に変更。火の玉ストレートはまだ手にしておらず、瀬戸際だった。

 星野も中日監督時代から阪神の若手の名前は頭にあった。2軍戦をビデオチェックする中で、藤川の、その投げっぷりが印象に残っていた。「いいものを持っている。高卒も待てるのは4年目まで。そろそろや」と2軍からの報告に期待していた。ウエスタン・リーグで5勝、7月11日のフレッシュオールスターで先発し3回1失点。これを受けて星野は藤川昇格を決めた。球宴明けの後半戦から先発ローテに入れた。大きな決断。それだけの魅力も感じていた。

 02年7月21日の横浜戦(横浜)でプロ初先発。22歳の誕生日だった。初回、石井琢朗に左前打されたが、続く種田仁を遊ゴロ併殺に仕留めるなど4回3安打2失点で毎回の5奪三振。「悔いが残る。打たれたんですから」と語ったが、星野は及第点を与えた。

 先発3試合目の8月3日ヤクルト戦(甲子園)では6回を無失点。「最高のピッチングや」と指揮官を喜ばせたが、次戦は5回途中5失点KOといい形はなかなか続かない。立ち上がりが良くても打者一巡すると、つかまる。投手コーチ・佐藤義則も「課題はスタミナ」と何度も指摘した。

 「消化試合にならないうちに、藤川を勝たせたいんや」という星野の思いが届いたのは9試合目の先発となった9月11日のヤクルト戦(神宮)だった。初回、真中満に先頭打者アーチを浴びたが、ここからヒットを許さない。1―1で迎えた7回も稲葉篤紀三ゴロ、ペタジーニ中飛、ラミレス空振り三振と中軸を封じ込め、8回1安打1失点7奪三振。9回のアリアス決勝弾で初勝利を手にした。「長かった。ここまでチームに迷惑をかけてきましたから」。ウイニングボールを手に、藤川は涙した。=敬称略=

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2020年11月23日のニュース