オリックス 元担当記者が思う「今こそ仰木監督の教えを」――おとなしすぎるチームぶち壊せ

[ 2020年9月16日 06:30 ]

登録名を鈴木一朗からイチロー、佐藤和弘からパンチと命名したオリックス・仰木監督
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 オリックスは15日、07年まで17年間本拠地だった神戸での楽天戦を「THANKS KOBE ~がんばろうKOBE 25th~」として開催した。リーグ優勝した95年の復刻ユニホームで戦い、昇格即で先発した大下誠一郎外野手(22)が育成ドラフト出身では初の初打席本塁打を決勝弾で飾った。96年を最後に現12球団で最も優勝から遠ざかり、今季も最下位に低迷。94年まで担当だった田中貴久(59)が“今昔”に思いを寄せた。

 懐かしいユニホームを目の当たりにして、初めてプロ野球担当を任された当時を思い出した。投打の主力は星野伸之や石嶺和彦、現監督代行の中嶋聡を含めて阪急時代からの選手たちで、田口壮、鈴木一朗が頭角を現そうとしていた。

 パ・リーグは西武の黄金期。Aクラスは常連でも、優勝争いをしているとは言い難かった。94年の仰木彬監督就任で変革が始まった。第一歩は、全体的におとなしいイメージのチームカラーを変えることだった。鈴木一朗を「イチロー」、佐藤和弘を「パンチ」として登録し、話題をつくったことが有名だ。

 西武の壁は厚く、一度、仰木監督に「西武に負けてばかりで悔しいです」とぶつけたことがあった。返答は「その通りやな」だった。内心は穏やかではなかったかもしれないが、若輩記者の言葉にも耳を貸す度量の大きさが、仰木監督のスゴさだった。

 就任直後のことだ。「チームを売り出すためのアイデアを出してくれ」の求めで、「選手一人一人をファンに覚えてもらえるように一人、1パフォーマンスを」と意見した。最近の松田宣(ソフトバンク)の「熱男」や山川(西武)の「どすこい」のようなものだ。すぐ翌日の練習で選手たちに実践させたことに驚いた。

 昔と今で何が違うのか。何かを変えようとする力が、当時のチームにはみなぎっていたように思う。田口、イチローらを積極起用することで上昇気流が生まれた。今のチームも打者では吉田正、投手では山本ら若くて才能がほとばしる選手がいて、劣っているとは思えない。

 それでも、近年キャンプで練習内容を見て、物足りなく感じていたのは確かにある。ソフトバンクのキャンプを見てきた経験から言うと、質、量ともに不十分。おとなしすぎるチームのムードをぶち壊し、再構築するぐらいの荒療治をする時期かもしれない。幸い首脳陣には“仰木門下生”が大勢いる。中嶋監督代行は「神戸でやって、このユニホームで勝つってスゴい」とかみしめた。今こそ、仰木さんの教えを思い返す時だろう。 (93~94年担当・田中貴久)

 ▽1995年のオリックス 仰木彬監督の就任2年目。1月17日の阪神・淡路大震災で地元神戸が被災し、「がんばろうKOBE」を掲げた。6月に首位に立って以降は独走し、7月22日に優勝マジック43が点灯。8月26日の近鉄戦では佐藤義則が40歳11カ月でノーヒットノーラン。9月19日の西武戦で11年ぶり12度目のリーグ優勝。最終成績は82勝47敗1分け、勝率.636。2位・ロッテに12ゲーム差をつけた。イチローが打率.342、179安打、25本塁打、80打点、49盗塁で2年連続MVP。中嶋聡は捕手陣最多の101試合出場で貢献。

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