西武に来て良かった…榎田が振り返る特別な試合「孝介さんと対戦するなんて」

[ 2018年10月1日 14:10 ]

6月3日の阪神戦で、阪神ファンのジェット風船が揺れる中、7回3失点の好投を見せた西武・榎田
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 笑顔溢れるナインの集合写真で、遠慮げに端っこに収まるのを見て「彼らしいなぁ」と思った。9月30日、西武ライオンズが08年以来10年ぶり、22度目のリーグ優勝を決めた。

 開幕前、阪神からトレード移籍してきた榎田にとっては、プロ8年目にして初めて経験する優勝。試合後は、辻監督始め、山川、浅村ら立役者たちとともに優勝会見に出席し「西武に来て良かった」としみじみ語ったのがとても印象的だった。

 菊池に次ぐ左腕としてローテーションに定着してキャリアハイとなる10勝をマーク(1日時点)。「出来すぎです」と、やはり遠慮気味な男が「やっぱり、あの試合は特別でした」と振り返ったのが、古巣と対峙した6月3日の阪神戦だった。

 試合は、阪神時代に可愛がっていた藤浪との投げ合いで始まった。5回までに4点の援護をもらい、快調に飛ばしていたものの、6回に後輩たちから“恩返し”を食らった。ドラフト同期入団の中谷に右翼越えの適時二塁打を浴びると、前年まで2軍で苦楽をともにしてきた陽川にも右前へ2点適時打を許して1点差に迫られた。

 後続を断ち、勝利投手の権利は何とか確保。球数も100球を越えていた。「さすがに降板かな…」。ベンチで一息つこうとした時、土肥投手コーチが歩み寄ってきた。

 「榎田、このままでは終われないだろう。次も、いってこい」。

 首を横に振る理由はなかった。「土肥さんの言葉が本当に嬉しかった」。背中を押された背番号30は、最後の力を振り絞った。1番からのタフなラインナップながら、北條、糸原を簡単に打ち取ると、迎えたのは福留。榎田にとって古巣の中でも特別な選手だった。

 地元・鹿児島の名門ソフトボールチーム「大崎ソフト」の先輩で、ずっと背中を追いかけてきた。阪神入団時に共通の知人を介して福留から届いた祝福のメッセージ付きメールは今も榎田のスマートフォンに保存されている。「孝介さんと阪神で一緒にやらせていただいて、自分の投げてる試合で打ってもらったり、一緒にお立ち台に上がったりしたことはあったけど、まさかプロで対戦することになるなんて、想像していなかったので」。

 胸を借りるつもりで、腕を振った。最後は外角低めへの直球で見逃し三振。「よっしゃ」と、ここでも遠慮気味に、小さく吠えてマウンドを降りた。

 「あの試合の最後のアウトが孝介さんから取れたっていうのも自分の中では大きかった」。先輩、後輩…阪神で過ごした7年を思い返しながら1人、1人、かつての仲間たちに挑みながら掴んだこの日21個目のアウトで「タテジマとの決別」をようやく実感できた。

 西武では、栗山ら歳上はもちろん、歳下の浅村らにもイジられる。タイガース時代に、某企業のイメージキャラクターから付けられた「エネゴリくん」のニックネームは、ライオンズでも“継続使用”されているようだ。移籍組ながら投手陣では最年長で、9月の関西遠征では音頭を取って、投手会も開いた。

 ユニホームは変わっても「榎田大樹」という人間性は、何も変わっていない。先日、鳴尾浜球場に行くと、何人かの若手選手が「エノキさん、10勝しましたね。良かったです」と同じ話題を振ってきた。みんなが彼の人柄、野球へのひたむきな姿勢に触れてきた。

 だからこそ近年、阪神で強いられた苦闘が報われて欲しいと誰もが思っている。クライマックスシリーズ、そして、その先にある日本一を決めるマウンドへ。32歳で幕を開けたサクセスストーリーには、まだ続きがあるはずだ。 (遠藤 礼)

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