名手だった男が…西武・辻監督 超攻撃野球で圧逃舞い「チーム力が違えば野球も違う」

[ 2018年10月1日 05:30 ]

パ・リーグ   西武1―4日本ハム ( 2018年9月30日    札幌D )

<日・西>ナインに胴上げされる辻監督
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 西武が30日、2008年以来10年ぶり22度目のリーグ優勝を果たした。2位ソフトバンクがロッテに敗れたため。優勝マジック1で迎えた日本ハム戦は1―4で敗れたが、8回裏の守備に就いた時点で優勝が決まった。就任2年目の辻発彦監督(59)は強力打線を形成。開幕から一度も首位を明け渡さず優勝を果たすのは、球団史上初で、プロ野球史上5度目の快挙となった。

 心から信頼したナインが笑っている。辻監督の目尻のシワも、柔らかく、深かった。札幌ドームのマウンド後方にできた円の中心。1メートル82、78キロときゃしゃな体は、たくましさを増した選手たちによって8度、舞った。

 「選手たちが私のミスもあったけど、助けてくれた。一度も落ちることなくトップを走り続けた選手たちを誇りに思います」

 開幕8連勝から一度も首位を明け渡すことなく駆け抜けた。9月に昨年王者のソフトバンクが追いすがった。「どうやったら乗り切れるのか。そういう不安に今季初めて襲われた」。それでも9月中旬からの直接対決で5勝1敗と圧倒した。

 二塁手として史上最多のゴールデングラブに8度輝いた指揮官は超攻撃野球に徹した。西武で広岡、森監督、ヤクルトで野村監督の下でプレー、引退後は中日・落合監督の下でコーチを務めた。投手力を中心とした守りを重視する名将の薫陶を受けた。「各監督の特徴は頭にある。ただ、チーム力が違えば野球も違う。5点以上取らないと勝てない」。送りバント、進塁打のサインは、ほぼない。だが、リーグトップの盗塁数は辻流そのもの。塁上からの重圧と各打者の迷いなきスイングの相乗効果でチーム771得点は球団記録を大幅に更新した。

 3年連続Bクラスのチーム再建を託された。1年目の昨年、源田と外崎を我慢の起用で主力に成長させ、今季は山川を全戦4番に据えた。「能力の高い選手が多い。個性を伸ばせばいいと信じた。監督の仕事って気持ちよく選手にやらせてあげること」。ミーティングでの訓示はほとんどせず、選手とは性格を踏まえて接し方を変えた。監督室は試合を振り返って記入する手帳が机の上に置いてあるだけ。毎日、欠かさない約5キロのランニング中に打順や構想に思いを巡らせる。

 悲しみも背負った。就任1年目の昨年2月1日のキャンプイン当日の夜に父・廣利さんが86歳で他界。「お袋がプロ2年目で亡くなった後に、初めてオールスターに選ばれた。監督になった時に親父も逝っちゃった」と語る。大工の棟梁(とうりょう)で前身の西鉄ファンだった父。佐賀県小城市の自宅から平和台球場まで連れられ、稲尾和久らのプレーを見た。「野球大好きな親父。優勝を見せられなかったのは残念」と天を見上げた。

 マジック11を点灯させた翌日の9月18日は85年に他界した母フミさんの命日だった。「その日だけは(M点灯を)お願いしちゃった。命日だったから」。昨年6月に急死した1軍投手コーチだった森慎二氏も含め、試合前の国歌斉唱では日の丸を見つめ3人の顔を頭に浮かべた。「“今日も天国から野球を楽しんでね”って心で言っていた」。ベンチには森さんの背番号89のユニホームも飾られ、胴上げも一緒だった。

 今年2月。キャンプ地の宮崎・南郷での食事会で後藤高志オーナーを前に「最後までファンを帰らせない野球をする」と宣言。リーグ最多の39度の逆転勝ちを果たした。チーム防御率リーグ最下位での優勝は01年近鉄以来。「打線の破壊力では(黄金時代より)上。これからライオンズは強くなる。来年も、再来年も勝ちたい」。所沢に本拠を移転して40年目。名手と呼ばれた男が新たな西武の歴史をつくった。 (春川 英樹)

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