フィギュアスケートの団体戦は個人戦の後に行うべきではないのか

[ 2018年2月16日 10:00 ]

<平昌五輪フィギュアスケート団体>団体戦を終え記念撮影をする日本チームの(後列左から)須崎海羽、宮原知子、坂本花織、田中刑事と村元哉中(中央)、クリス・リード(同左)、木原龍一(同右)=撮影・小海途良幹
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 【藤山健二の独立独歩】平昌では猛烈な寒さを吹き飛ばすような熱い戦いが連日続いている。氷上の華、フィギュアスケートの団体戦で日本は前回のソチ五輪と同じ5位に終わったが、改めて感じたのは、団体戦はやはり個人戦の後に行うべきだということだ。

 同じ氷上競技のスピードスケートは大会の終盤に団体種目が行われる。団体戦ではスケートより長い歴史を持つスキーもジャンプ、複合とも個人戦の後に団体戦が予定されている。夏季競技でも陸上や競泳のリレーは一番最後で、東京五輪から採用される柔道の男女混合団体も同様だ。選手にとって一番大事なのは自分、つまり個人戦であって、団体戦はいわば「おまけ」のようなもの。個人戦で結果を出した選手にとっては一種のご褒美であり、不本意な結果に終わった選手にとっては「せめて団体だけは」という雪辱の舞台ともなる。

 ところが、なぜかフィギュアの団体戦は前回も今回も、個人戦の前に行われた。選手にしてみれば、大事な個人戦の前にケガでもしたらたまらないし、相手に手の内を見せるわけにもいかない。必然的に団体戦は二の次になり、個人戦へ向けての練習の場と化す。ペアやダンスが強いカナダや米国などと違い、シングル頼みの日本はもともとメダルの可能性が低い。個人戦を考えれば日本連盟としても選手に無理強いするわけにもいかず、2大会連続の5位に甘んじるしかなかった。

 なぜ団体戦が先なのか。明確な理由は示されていないが、恐らくは一番の花形である女子のシングルを一番最後に持ってきたいからだろう。フィギュアスケートの女子シングルは、1924年の第1回冬季五輪シャモニー・モンブラン大会で唯一の女子種目として実施され、以来ずっと「氷上の華」として歴史を刻み続けてきた。女性がスポーツをすること自体が珍しかった時代に、男女平等で競技を行ったフィギュアスケートは素晴らしいし、その歴史と伝統を守るために「最後は女子シングルで」というのは分からないでもない。だが、今のままでは団体戦はただの練習試合に過ぎず、それならやらないほうがましと言ったら怒られるだろうか。

 もし、大会の後半に団体戦があったら、日本の出場メンバーもまた違っていたはずだ。もし羽生と宇野がSPとフリーに出てともに1位になっていれば、団体でもメダルに手が届いたかもと思うと残念でならない。日本でもペアとダンスのレベルが少しずつ向上しており、本気で団体戦に取り組めば有力なメダル候補になる可能性もある。ぜひ団体戦は大会の後半に。国際スケート連盟の英断に期待したい。(編集委員)

 ◆藤山 健二(ふじやま・けんじ)1960年、埼玉県生まれ。早大卒。スポーツ記者歴34年。五輪取材は夏冬合わせて7度、世界陸上やゴルフのマスターズ、全英オープンなど、ほとんどの競技を網羅。ミステリー大好きで、趣味が高じて「富士山の身代金」(95年刊)など自分で執筆も。

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