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こだわり旬の旅

【滋賀】光秀ゆかりの地・近江 多くの謎も…残る足跡 麒麟の像に驚き

[ 2020年2月28日 19:00 ]

坂本城門を移築したといわれる西教寺の総門
Photo By スポニチ

 好視聴率でスタートしたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」。その主人公・明智光秀ゆかりの地、滋賀県・琵琶湖畔の近江地区を訪ねた。一族の菩提寺・西教寺や坂本城址公園、安土城跡などがあり、現場に立つと光秀を取り巻く戦国武将の人間模様が見えてくるよう。3月から運航開始された琵琶湖・竹生島への縦走クルーズ船に乗って、光秀らに思いをはせた。

 出生地や幼少期など多くの謎に包まれている光秀。だがJR湖西線比叡山坂本駅からバスで約7分、大津市の琵琶湖を望む比叡山山麓の西教寺を参拝すると、さまざまな足跡が残されていた。

 聖徳太子が創建した天台真盛宗の総本山で、織田信長の比叡山焼き討ちの際、災禍を受けたが、坂本城の城主となった光秀の尽力で再建されたという西教寺。総門は坂本城門を移築したといわれ、総欅入り母屋造りの本堂西側には明智一族の墓と供養塔。愛妻・熙子(ひろこ)の墓もあり、光秀がいかに同寺を崇拝していたかが分かる。

 それだけに光秀を討った豊臣秀吉の影が見え隠れしたのにはビックリ。本堂奥の客殿は秀吉の伏見城にあった旧殿で、秀吉の家臣・大谷刑部吉隆の母らが寄進・移築したという。この行為は何を意味するのか。そう考えると、なかなか立ち去ることができなかった。

 もっと驚いたのは宗祖・真盛上人を祭る宗祖大師殿の唐門。上部に「麒麟の像」が彫られているのだ。向かって左側は口を閉じ、右側は口を開ける阿吽(あうん)の形。なぜ麒麟の像が彫られたかは不明というが、「麒麟がくる」どころか「麒麟がいた」わけで、ドラマのタイトルに合点がいった気がした。

 そんな麒麟が築いた坂本城は同駅から徒歩約20分。城内に琵琶湖の水を引き入れた水城で、大天守と小天守を持ち豪壮だったというが、現在見るべき遺構はほとんど残っておらず、城址公園に碑と光秀像が建っているだけ。同湖を挟んだ対面には織田信長が築いた安土城(近江八幡市)があり、常に信長の目を意識せざるを得なかったことがうかがえる。

 その安土城も山頂に柱跡が残るだけだが、山麓の大手門に近い「安土城天主信長の館」では、原寸大に復元した豪華絢爛な安土城天主最上部や、1582年(天正10)5月、信長が同城で徳川家康をもてなした饗応メニューの復元レプリカを展示。同メニューは接待役の光秀が料理の味付けで信長の怒りをかい、本能寺の変を起こす要因になったといわれるものだ。

 宿の「休暇村近江八幡」ではその饗応メニューを再現した「信長饗応膳」を提供。夕食でいただいたが、鮒寿司や貝アワビ、焼き鳥、巻きするめ、鴨の汁など、本膳から五の膳、お菓子まで計21品。落ち着いた盛り付けと優しい味わいに“確執”の香りはなかった。

 ▽行かれる方へ 車は湖西道坂本北ICから約5分。西教寺の拝観料500円。信長の館入館料610円。信長饗応膳は1泊2食税別1万7000円から(3月末まで)。問い合わせは西教寺=(電)077(578)0013、信長の館=(電)0748(46)6512、休暇村近江八幡=(電)同(32)3138。 

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