上岡龍太郎さん死去 81歳 関西の伝説芸人 ダウンタウン・松本らが継承“元祖フリートーク王”

[ 2023年6月3日 05:30 ]

00年の本紙正月企画「紙上独演会」で大いに語った上岡龍太郎さん(99年撮影)
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 テレビ司会者として関西を拠点に活躍した元タレントの上岡龍太郎(かみおか・りゅうたろう、本名小林龍太郎=こばやし・りゅうたろう)さんが5月19日、肺がんと間質性肺炎のため大阪府内の病院で死去した。81歳。京都市出身。お笑い3人組「漫画トリオ」としてデビューし、解散後は「探偵!ナイトスクープ」などの司会者として活躍。絶大な人気を誇った関西の伝説的な芸人だった。絶頂期にあった2000年にタレントを引退し、悠々自適な余生を楽しんでいた。

 引退から23年、上岡さんが静かにこの世を去った。訃報は引退後の窓口となっていた事務所が発表。故人の意向で葬儀は近親者のみで済ませており、お別れの会の開催も固辞していたという。引退後は「一般人」として芸能界とは一線を引き、その美学を人生の最後まで貫いた。

 関係者によると、病気についても親族以外には明かしていなかった。長男で映画監督の小林聖太郎氏(52)は「昨年秋ごろ、積極的治療のすべがなく本人も延命を求めていない」と知らされたという。13年に医師から「心筋梗塞の気配がある」と診断され、一時期は大好きなゴルフも控えていた。その後再開し、数年前まで元気にプレー。同じく趣味のマラソンなどを楽しんでいた。

 親しい人の慶事や弔事には姿を見せ、15年3月に桂米朝さんの葬儀に参列した。16年11月に大阪で開かれた小林氏の監督作「破門 ふたりのヤクビョーガミ」の試写会では、息子の晴れ舞台を客席から見守っていた。これが報道陣の前に見せた最後の姿だった。

 高校卒業後に芸の道に進み、バンドのコンサートなどで司会を務めた。1960年に横山ノックさんに誘われ、「横山パンチ」の芸名で「漫画トリオ」に参加。「パンパカパーン!今週のハイライト」から始まる時事ネタを取り入れたニュース漫才がウケた。

 ノックさんが68年に参院選に出馬すると、トリオは活動停止。次々に関西圏でレギュラーを増やし「ラブアタック!」「花の新婚!カンピューター作戦」などの番組がヒットした。88年には「探偵!ナイトスクープ」が開始。深夜枠ながら視聴率30%台を連発したお化け番組で「初代局長」として親しまれ、引退まで出演を続けた。

 よどみないしゃべりの中で、知性的な言葉と芸人らしいボケを両立させた。毒舌ゆえに騒動も数え切れなかったが、視聴者の支持は変わらず。演芸関係者は「一代限りのフリートーク芸。そのDNAが島田紳助さんやダウンタウン松本さんに受け継がれている。伝説の芸人です」と語る。

 「絶対東京には行かへん」とかたくなだったが、87年開始の読売テレビ「鶴瓶上岡パペポTV」が、翌88年から日本テレビ系でも放送。90年に本格的に東京進出。フジテレビ日曜昼の冠番組「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」で全国区の人気を得て、テレビ6本、ラジオ5本を持つ売れっ子に。近畿の高額納税者番付の上位に何度も名を連ねた。

 だが、芸能活動40周年を迎えた2000年4月にキッパリと引退。「21世紀は私の時代ではない」と、全ての番組を降板して芸能界を去った。人気絶頂のさなかだっただけに、大きな衝撃を与えた。

 ≪ナイトスクープ初代局長≫
 上岡 龍太郎(かみおか・りゅうたろう)本名小林龍太郎。1942年(昭17)3月20日生まれ、京都市出身。京都西高時代にロカビリーに傾倒し、卒業後はバンドボーイとして司会などを務める。「漫画トリオ」として活動した後、70年代にテレビ司会者としてブレーク。関西テレビ「ノックは無用!」では、盟友・横山ノックさんと共演。「探偵!ナイトスクープ」初代局長(88~2000年)として「阪神が優勝できないのはカーネル・サンダースの呪い」「アホバカ分布図」を作成するなど、話題の企画を放送した。元々の夢は役者。「上岡龍太郎劇団」や「変化座」を旗揚げし、その夢をかなえた。芸名の「上岡」は婿養子だった父の旧姓。兄弟漫才コンビ「ミキ」はおい。

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