博学多才の勉強家 紳助竜介に貴重な助言 おいっ子コンビ「ミキ」の評判も気に掛けていた

[ 2023年6月3日 05:20 ]

上岡龍太郎さん死去

92年、「鶴瓶上岡パペポTV」制作発表での上岡龍太郎さん(右)と笑福亭鶴瓶
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 辛口毒舌の異端児として一時代を築いた上岡さん。博学多才で知られ、後輩の才能も開花させた。

 豊かな教養を芸に昇華させたテクニックが「知識のドーナツ化現象」。真ん中の基本を知らなくても、外側のマニアックな知識を頭に入れて話すことでインテリ派に見られるという意味で、自らの芸風を表現するためによく口にしていた。

 その陰では、本や新聞を読むなどあらゆる出来事から雑学まで何でも学ぼうと努力を惜しまず、あらゆるツッコミを研究。さらに古代史研究、スキューバダイビング、ボウリングなど多彩な趣味によって話芸の幅を広げていった。

 大きな影響を受けた一人が島田紳助さん(67)だ。上岡さんは、紳助さんが駆け出しの頃に「今までにあった漫才はやりたくない」と聞いて、「今までにあった漫才を全部言うたる。それ以外のもんをやれ」と助言。漫才や落語などあらゆる演芸の型を教えた末に「島田紳助・松本竜介」はリーゼントにツナギというツッパリ漫才で時代の寵児(ちょうじ)へと駆け上がっていった。

 長男の小林聖太郎氏(52)は上岡さんのことを「矛盾の塊」と言う。毛嫌いしていた東京に進出すると一躍全国区に。「ゴルフなんか絶対にしません」と公言しながら、いつの間にかはまって、引退後にシニアプロを目指して渡米するほどのめり込んだ。そんな矛盾をも立て板に水の話術で帳尻を合わせてしまう達人だった。

 私生活では21歳の頃、自身のファンだった当時13歳の妻と出会い、6年後に結婚。おしどり夫婦で知られた。おいっ子のお笑いコンビ「ミキ」とは幼い頃に何度か会ったが、芸人になってからは疎遠になった。それでも、周囲に「最近面白い漫才師おる?」と尋ねて2人の評判を気に掛けていた。2020年に笑福亭鶴瓶(71)とミキのテレビ共演が決まった際、鶴瓶から電話を受けて「ミキをよろしゅう頼むわな」と告げたという。親交の深い鶴瓶が番組内でこのやりとりを明かし「あんなん言うたことないですよ」と伝え、ミキを感激させた。毒舌の異端児は家族を愛した人だった。

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