ジャニーズWEST中間淳太 引退よぎった後輩ユニットの楽曲「完全にもう無理やん」

[ 2021年8月8日 17:28 ]

ジャニーズWEST
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 「ジャニーズWEST」の中間淳太(33)が、8日放送のニッポン放送「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」(日曜後4・00)に小瀧望(25)とゲスト出演し、引退も考えたデビュー前の葛藤について明かした。

 中間は03年にジャニーズ事務所に入所。下積み生活は長く、「僕は遅かったんですよ。高校と同時にジャニーズに入ったので。結構、時間かかりましたね。デビューするまで10年以上」と語った。

 周囲には中間のように、長い年月をかけてデビューを目指す者もいたが、「小瀧みたいなエリートが入ることで抜けてしまう人もいるし」と、有望な若手が入ると挫折してしまう同志もいたという。「結構、そういう厳しい世界なんです」と明かし、「ラッキーでした。僕ら全員が残れたのも」としみじみ語った。

 14年に念願のCDデビューを果たしたが、またしても壁が。「僕らなんて、夏と冬しか仕事がなかったんですよ。(大阪)松竹座って場所で自分たちの舞台をやらせていただいて、それしか仕事がなかったんですよ」と告白。「東京の(ジャニーズ)Jr.は、同期で言ったら『Kis―My―Ft2』とか『A.B.C―Z』とか。Mステのバックとかでバンバン出てるんですよ」と、自分たちとの境遇の差にうらやましさもあったという。

 そんな中、中間の後輩に当たるメンバーたちが、「Hey!Say!JUMP」の前身ユニット「Hey!Say!7」を結成。同ユニットの楽曲「Hey!Say!」の歌詞に、中間は衝撃を受けたという。「そこで『昭和でShowは無理』って言ってて。僕、昭和生まれなんですね。『完全にもう無理やん』と思いました。その時から。ジャニー(喜多川)さんがそういう歌詞を付けはって」。その歌を楽屋で聞き、「この先、僕は未来はこの世界じゃないんだと思いました」と引退もちらついたことを明かした。

 関学大在学中には、進路について「めちゃくちゃだから迷いました」といい、「大学3回生くらいは就活もちょっとしましたし。普通の企業です」とも話した。祖父が電子系の会社を経営していることもあり、「それもあったので、普通の人より長く(事務所に)残れたのかな。『最悪そっち行けるな』っていう気持ちがあったんで」と本音もポロリ。それでも、長年チャンスをくれた両親には「感謝です。本当に、親には」とお礼の言葉を口にしていた。

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2021年8月8日のニュース