伊東四朗「戦友」小松政夫さん訃報にぼう然「三波伸介さんが亡くなった時以来」

[ 2020年12月13日 05:30 ]

故人を偲ぶ伊東四朗 (撮影・白鳥 佳樹) 
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 コメディアンで俳優の小松政夫さんが78歳で他界した訃報から一夜明けた12日、前夜「俺より先に逝くなんて」とコメントした伊東四朗(83)は、ラジオ出演前に報道陣に対応。「一緒に戦った戦友でした」と改めて悲しんだ。

 伊東は冠番組「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛」(土曜後3・00)を放送する文化放送の一室に、フェースシールドを着け、消沈した様子で現れた。小松さんの訃報は11日の午後4時ごろにマネジャーから聞いたといい「小松ちゃんと“死亡”ということが結びつかなかった。昨日は立ったまましばらくぼうぜん自失。こんな経験は三波伸介さんが亡くなった時(1982年)以来です」と声を振り絞った。

 小松さんが闘病生活を送っていたことは知らされていなかった。「言ってくれれば会えたと思うのに…」と悔しがった。「余命のようなものも言われていたかもしれないが、潔い彼ですから、誰にも知らせなかったんでしょうね」と思いやった。小松さんのコメディアンとしての才能を「本当にやりやすかった。異能の人でした」としみじみ。「(天国で)久しぶりに師匠の植木等さんに会えてうれしいんじゃないか。元の師弟関係に戻って、付き人として走り回ってほしい」と悼んだ。

 70年代にTBS「笑って!笑って!!60分」やNET(現テレビ朝日)の「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などで共演。絶妙なかけ合いでお茶の間に笑いを届け、「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」をヒットさせた。

 「戦友でした。人はよく“コンビ”と言っていましたが、実際にはコンビを組んでいない。でもなぜか気が合った」と回想。実際にコンビ結成の動きがあったことも明かし「当時、映画『ジョーズ』がはやっていたので(コンビ名は)“オジョーズ”でどうかと…。結局立ち消えましたが」と懐かしんだ。
 会見では遠いところを見たり、笑ったり、さまざまな表情を浮かべた。終了後には出口へ歩きながら「変なヤツですよ。彼は」とポツリ。喜劇人・小松さんに贈る最高の褒め言葉だった。

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2020年12月13日のニュース