阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語47】万感…2軍戦で下柳とラストバッテリー

[ 2018年12月11日 06:00 ]

2010年9月25日、ウエスタン・中日戦で下柳(左)と最後のバッテリーを組んだ矢野はガッチリと抱き合った
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 最後の打者を空振り三振に仕留めると、矢野はマウンドへゆっくりと歩を進めた。下柳剛が笑顔で近づいてくる。

 「ありがとう」

 どちらからともなく言葉をかけ、ガッチリと抱き合った。あうんの呼吸でコンビを組み、互いが互いを認め合っていた。2010年9月25日、鳴尾浜球場。球史に名を残したバッテリーが、終幕を迎えていた。

 「感謝しかない。試合前は2人の時間を楽しもうと思ったけど、鳴尾のメンバーにとっても大事な試合。捕手の本能も思い出させてくれたし、0点で終われて良かった」

 3―2の9回からタッグを組んだ。阪神ファームにとってウエスタン・リーグの優勝のかかった一戦である。矢野は試合出場をためらったが、2軍監督・平田勝男は迷いを断ち切ってくれた。

 「そんなことは関係ない!矢野、出てくれ」

 平田の気持ちが、矢野にはどれほどありがたかっただろう。その思いに応えるためには、何としても中日打線を抑えたかった。2死一、三塁のピンチを迎えたが、これまで何度も修羅場をくぐり抜けてきた。そして、バックに控える後輩のためにも…。ゲームセット後の熱い抱擁は、見る者の心も熱くさせた。

 9月3日の引退会見の朝、矢野は鳴尾浜のブルペンにいた。マウンドには下柳がいる。「ナイスボール!」。矢野は下柳が投じる1球、1球を、気持ちを込めてキャッチングした。

 矢野にはキャッチャーとしての信念があった。藤川球児、あるいは下柳といったピッチャーのボールは、決してブルペンでは受けない。下柳の投球練習を受けるのは、本当に久々のことだった。

 「シモや球児は目的を持ってブルペンに来ている。それをオレが受けることで、ペースを崩したくはないからね」

 理由は明快だった。試合でも何度も組んでいるし、お互いの考えは理解している。ならばキャッチャーとして余計な気を使わせたくはない。2人の姿を目にすれば、決まって若い投手の相手役を務めてきた。だが、もう選手として残された時間は少ない。これまでの感謝の意味を込めて、矢野はブルペンに向かったのだった。

 「最後にもう1回組めて本当に良かった。オレこそ感謝しかない。タイトル(05年最多勝)も矢野に獲らせてもらった。いつまでもバッテリーを組みたかった」

 下柳はラストコンビの2軍戦後、寂しげな表情で帰りの車に乗り込んだ。09年9月13日の横浜戦(甲子園)が、2人で勝ったラストゲームとなった。合わせて82歳0カ月。プロ野球最年長バッテリー勝利記録となった。

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