阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語22】入試突破へ…猛勉強で驚きの上位合格

[ 2018年11月16日 06:00 ]

体育祭で桜宮高の同級生たちと笑顔(中)
Photo By 提供写真

 矢野が東北福祉大の一般受験を決意するのと同じタイミングで、監督・伊藤義博も動いた。

 「おい松本、お前が家に電話せえ」

 桜宮高の1年先輩で、同大野球部の1年生だった松本俊彦(現・ワインバー「base」経営)は、大事な橋渡し役を伊藤から命じられた。

 「もしもし、松本と申しますが、矢野くんいますか?」

 「兄弟2人いますがどちらの方でしょうか?」

 「え〜…、すみません。下の名前までは分かりません。私、福祉大のものです」

 「あ、少々お待ちくださいませ」

 隣でやり取りを聞いていた伊藤は、眉間にしわを寄せている。「松本、名前ぐらい調べとかんかっ!」。矢野が電話に出てくるまでのわずかの時間で、松本はこっぴどく叱られた。

 「福祉大を受験させていただきたく思います」

 矢野の声は緊張と申し訳なさで、沈みがちだった。矢野もまた、伊藤からこっぴどく叱られた。無理もない。東洋大進学に絞った春の時点で、一度、断りを入れているのである。だが、伊藤の懐は広かった。

 「今から頑張って勉強せえ。待ってるぞ」

 矢野にしてみれば、わらにもすがる思いだった。伊藤の答えが「NO」であったなら、野球を続ける手だては事実上絶たれていたに違いない。伊藤の恩義に応えるためには、とにかく入試を突破するしかない。そこから一念発起した。

 ターゲットとした社会福祉学部社会福祉学科の受験科目は英語、国語、日本史の3科目だった。高校の授業をおろそかにしてきたつもりはないが、大学受験となればまた別ものである。

 「分からんわ〜」

 当初はクラスメートの前でも、戸惑いの声を連発していた。それでも音を上げるわけにはいかない。英語の単語帳、参考書を片時も手放さない。寝る間も惜しんでの猛勉強である。受験のために乗った仙台行きの新幹線でも、東北福祉大の赤本(過去の問題集)でラストスパートをかけた。

 努力のかいあり、結果は合格だった。野球部長・大竹榮はその成績に驚かされた。「矢野ってのはえらい上位じゃないか」。伊藤に聞けば、ポジションはキャッチャーだという。全国的には全くの無名だったが、大竹にとっても矢野は楽しみな存在となった。

 伊藤も心底ホッとした。思えば桜宮高入学の時から、矢野とは不思議な縁があるのかもしれない。伊藤は再会が待ち遠しかった。

※カッコ内の肩書は2011年当時のまま

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