阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語8】阪神への移籍前、正捕手の座は目前だった

[ 2018年11月2日 06:00 ]

惜別試合のセレモニーで中日・中村コーチから花束を受け取る矢野(左)
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 グッと胸にこみ上げてくるものがあった。9月25日に鳴尾浜であったウエスタン中日戦は、矢野の惜別試合でもあった。試合後のセレモニー。矢野へ花束を渡した1人が、中日バッテリーコーチ・中村武志だった。

 素直な気持ちを明かすまでには、長年の歳月が必要だった。1997年10月14日。中村、矢野の2人にとって、この日は生涯忘れられない一日となった。中日、阪神の両球団から2対2の大型トレードが発表。中村の控え捕手だった矢野は、大豊泰昭とともに阪神への移籍が決まった。

 「今だから言えることだけどね…」。中村はそう前置きした上で、球団関係者からトレードの一報を耳にした当時の心境を、思い起こした。

 「矢野には悪いけど、個人的にはすごくうれしかったよ。年を追うごとに矢野の野球センスの良さが分かったし、チームにも溶け込んでいた。選手にとって、使う、使われないは運もある。もの凄く危機感があったし、本当にやばいと思ってた。追い越されるとしたら矢野だな、と」

 密かに矢野へ抱いていた危機感は、選手としてしのぎを削る以上、口が裂けても言えなかった。13年たって中村の言う「うれしかった」は、当時の矢野へ対する最高の褒め言葉とも言える。それほどまでに中村がライバル視していたことを、2番手捕手だった矢野本人が知るよしもない。

 それとは別に、互いの知らないところで、運命の糸が複雑に絡み合っていた。当初、阪神が指名してきたのは矢野ではなく、中村の方だった。トレード成立当時の中日監督だった星野が舞台裏を赤裸々に語る。

 「“いいよ”と返事して決まりかけた。その時は、矢野を正捕手にするつもりやったんや」

 最終的に交換要員が折り合わなかったが、ともすれば阪神・矢野は誕生していなかった。中村は京都・花園高からプロ入りし、3年目の1987年から1軍定着。翌年途中からレギュラーの座をつかむと、不動の正捕手として2歳下の矢野の台頭を阻んでいた。だが、97年は5年ぶりの最下位とチームが低迷。闘将・星野が中村放出という大なたを振るっても、決して不思議ではなかった。

    ◇    ◇    ◇

 若き正捕手・中村は、2歳下の即戦力ルーキーに何の脅威も感じなかった。正直、負ける気がしない。「細くて、キャッチャーぽくない男前やな。楽勝や」。矢野に対する中村の第一印象は、ひ弱な大学生にすぎなかった。91年、オーストラリアの1軍キャンプ。ゴールドコーストの強烈な日差しを浴びながら、矢野は早くもプロの壁にぶち当たった。

※肩書は2010年当時のまま

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