阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語29】万感「4年間、いい仲間に恵まれました」

[ 2018年11月23日 06:00 ]

1990年、大学選手権決勝で亜大に敗れて惜しくも準V、表彰式でトロフィーを受け取る矢野(右端=矢野家提供)
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 スタンドで声をからしていた原克隆は、思わず目を疑った。右打席に立つ矢野が、今まで見たことのないフォームをしている。ノーステップでスイングし、白木のバットも短く握っているではないか。1990年の全日本大学野球選手権決勝。大学No.1の名を欲しいままにした亜大・小池秀郎を攻略するべく、矢野は必死だった。

 「矢野さんは本当に今日に懸けている…」

 1学年後輩の原には、痛いほど矢野の思いが伝わってきた。何を言うわけでもない。自らが先頭に立って、黙々と練習する。全体練習を終えた後も、球心寮の2階にあるウエートルームあるいは3階の洗濯干し場でバットを振り続けた。どんなに帰寮の時間が遅くなっても、日課を欠かすことはない。背中で後輩たちを引っ張ってきた。そんな矢野の姿を、原は尊敬していた。

 試合は亜大が4回に先制した。先発・小坂も3回までノーヒットに封じ込めたが、1死から3番・松尾、4番・斉藤の連続ホームラン。左翼ポール際へ打ち込まれた松尾の一発は際どい判定だったことで、余計に流れは亜大に傾いていた。

 対する東北福祉大は5回まで左腕・小池の前に無安打。胸元をつくストレート、落差あるカーブに手も足も出なかった。6回、初安打の勝山聖介を塁において、矢野もヒットで続いたが得点には至らず。7回2死二、三塁では代打・宮田尚樹が中前打を放ったが、二塁走者・勝山が本塁憤死。反撃も一歩及ばず、1点差で涙をのんだ。

 試合後、四谷の宿舎で行われた打ち上げでは、矢野は沈痛な面持ちに終始した。もう、準優勝で満足できるチームではない。監督・伊藤義博の悲願を、この手で成し遂げるはずだった。悔しかった。長年野球をやってきて、一番悔しかった。

 「ダメなキャプテンで申し訳ない」

 親友でもあった勝山は、矢野の言葉に胸を熱くした。誰も責めるものなどいない。それでも矢野は主将として、敗戦の責任を背負った。飲んだ。強くはない酒を浴びるほど飲んだ。何度も嘔吐(おうと)し、最後はのどが切れ血も混じった。原をはじめ後輩たちは、そのシーンを目に焼き付けた。1年後。東北福祉大は延長17回の末に関大を破り、初優勝を遂げた。

 ◇  ◇  ◇   

 「4年間、いい仲間に恵まれました。この仲間たちと野球ができたことは一生の財産です」

 4年生の追い出しコンパで、矢野は万感の思いで感謝の言葉を口にした。中日、阪神と続くプロのステージ。新たな一歩をしるそうとしていた。

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