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阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語17】「何で中日やねん…」喜びより落胆が勝った

[ 2018年11月11日 06:00 ]

1990年11月24日、ドラフトで指名され笑顔を見せる東北福祉大の(左から)宮川一彦(大洋2位)、矢野輝弘(中日2位)、吉田太(中日4位)、小坂勝仁(ヤクルト2位)
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 運命の瞬間は刻一刻と近づいていた。1990年11月24日、ドラフト会議。テレビでの生中継を、東北福祉大野球部の監督室で矢野は固唾(かたず)をのんで成り行きを見守っていた。

 「中日、矢野輝弘(やの・てるひろ)、捕手、22歳、東北福祉大学」

 1位に続き2位指名がスタートすると、司会進行役でパ・リーグ広報部長の伊東一雄が、矢野の名を読み上げた。まさかの読み間違えにも驚いたが、それ以上に驚いたのは中日が指名してきたことだった。

 「えっ?」。矢野は事前に巨人と阪神が指名する可能性は知らされていたが、そこに中日の名は含まれていなかった。ましてや、2歳上の中村が不動のレギュラーとして君臨している。ドラフトでの指名が現実となりつつある中、矢野も自分なりにシミュレーションを行っていた。当然のように、各球団の捕手事情を調べていく。もっとも分の悪そうなのが、ほかならぬ中日だったのだ。

 とはいえ、この時点では、まだ決定ではない。なおも矢野がブラウン管にくぎ付けとなっていると、今度は巨人からの指名が入った。

 先のシミュレーションで、巨人は志望球団の1つとなっていた。正捕手・村田真一の存在は確かに大きかったが、年齢は矢野よりも5歳上である。すぐに追いつくことは厳しくても、年齢差が大きくなればなるほど、矢野にとっての猶予期間は長くなる。「経験さえ積めば、何とかなるかもしれない」。そこに矢野はわずかなチャンスを見いだそうとしていた。

 結局、中日と巨人の指名による、2球団での抽選となった。祈るような思いで、矢野はなおもテレビ中継を見つめた。だが、思うようにはいかない。オレンジ色の封筒から「選択確定」のクジを取り出したのは、中日・星野監督の方だった。

 「何でやねん…」。幼い頃から夢見ていたはずのプロ野球。その夢がようやくかなおうとしているのに、断然、ショックの方が大きかった。他にも指名された同級生の小坂勝仁、宮川一彦、吉田太の3人は記者会見でも満面の笑みを浮かべたが、矢野は笑顔を取り繕うことに必死だった。

 やがて、長く感じた取材も終わり、東北福祉大野球部監督・伊藤義博と向き合った。伊藤は矢野の希望も分かっていたし、はっきりとその表情からは落胆の色が読み取れる。伊藤は優しく、それでいて諭すような口調で教え子に声をかけた。

 「前向きに、やれることを頑張っていけ」

 矢野の野球人生の岐路には、必ず伊藤がそばにいた。

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