阪神新監督・矢野燿大物語
【矢野燿大物語19】熱意こもった伊藤監督のユニホーム
どこかに申し訳ない思いがあった。桜宮高野球部監督を退任することが決まった伊藤義博は、じくじたる思いだった。矢野とは入学が決まってすぐに面会を果たした。監督としての熱意を伝えた。だが、3年間、面倒を見てやることはできなかった。ならば、その思いを少しでも形にしたかった。1984年8月。伊藤は1年生の矢野を監督室に呼んだ。
「おまえに、オレのユニホームをやる」
矢野は一瞬あっけにとられたが、すぐに頭を下げた。「ありがとうございます!」。丁寧に折りたたまれたユニホームを両手で受け取り、部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
82年の初の甲子園が、皮肉な結果を生んでいた。桜宮高は80年に体育科を設立。定員は90人前後だったが、野球部の強さに比例して体育科の9割近くが野球部員となってしまったのだ。そうなると、他のクラブは面白くない。伊藤がいわゆる外部監督で、教師ではなく非常勤講師だったことも、風当たりの強い要因の一つだった。
生活も限界だった。長男・大輔、次男・智也、三男・高史はすくすくと育ち、教育でお金がかかる年齢になっていた。すでに喫茶店はたたみ、明美が学校給食の仕事を始めていたが、将来に対する不安は絶えずつきまとっていた。
そんな伊藤をグラウンドで支えていたのが、岡本幹成(現・聖望学園高野球部監督)だった。北陽高に進学後、1年遅れで桜宮高に入学。高野連の規定で2年夏に引退してからも、学生コーチとして部に残った。
1981年に東北福祉大に入学したが、肩を痛めていたこともあり同年6月に一時帰阪。すると伊藤は「オレは甲子園に行く。おまえはこのチームを手伝え」と言う。岡本は伊藤の右腕として、桜宮高でのコーチ業に専念することとなった。
2人はどこへ行くにも一緒だった。だから、伊藤の苦悩が、岡本には手に取るように分かった。手塩にかけて育ててきた桜宮高野球部への愛情と、妻と3人の息子たち…。甲子園と家族のはざまで悩みに悩んでいた。
伊藤はある時、阪急梅田のかっぱ横丁へ向かった。岡本と2人で占いをしてもらうためである。伊藤からの相談を聞き、占い師はこう言うのだ。
「東へ行きなさい」
すぐに結論は出なかったが、伊藤の頭の片隅には残った。
1984年の同じころ、神宮では全日本大学野球選手権が開催されていた。2年連続出場の東北福祉大はまたも初戦敗退。部長・大竹榮は全国の壁を痛感していた。
※カッコ内の肩書は2011年当時のまま
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