阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語7】「もう一度…」龍馬の墓前で前を向いた

[ 2018年11月1日 06:00 ]

直訴して2軍行きとなり会見する矢野(左)
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 眼下を見渡せば京都市内が一望でき、真正面には西山、左手には八坂の塔が悠然とそびえ立つ。出場選手登録を抹消となってから2日後の2010年6月10日。矢野は妻・裕子とともに、京都霊山護国神社にある坂本龍馬の墓を参っていた。

 「何もしない自分の姿を見せることは、2軍のみんなに迷惑をかけてしまう。少しだけ、時間が欲しい…」

 プロ入り後の20年は全力で走り続けてきた。シーズンはもちろん、オフでも全身全霊を野球に捧げてきた。ましてや、屈辱の大減俸を受けて迎えたペナントレースである。それが開幕からわずか2カ月での戦線離脱。虚脱感に襲われた心をリセットし、再び気持ちを奮い立たせるためには、つかの間の休息が必要だった。

    ◇    ◇    ◇

 苦渋の決断だった。7日のソフトバンク戦。延長12回引き分けとなったこの試合、矢野は複雑な思いで戦況を見つめていた。狩野が3日に抹消され、チームは城島との2人体制。そんな中、自身の右ヒジの痛みは限界に達していたため、チームの戦術面に制約を与えようとしていた。

 「このままではチームにも、ピッチャーにも迷惑をかけてしまうことになる」。あれほどまでに悲壮な決意を持って臨んだシーズンは、自らの申し出であっけなく2軍行きが決まった。

    ◇    ◇    ◇

 同年はNHK大河ドラマ「龍馬伝」による“龍馬ブーム”が訪れる前から、矢野は坂本龍馬を尊敬していた。きっかけは司馬遼太郎による不朽の名作「竜馬がゆく」。ベテランになってからは移動の合間やオフに、読書にふけるのが日課となっていた。

 霊山護国神社には明治維新誕生に命を燃やした幕末の志士がまつられている。目を閉じ、龍馬の墓前でそっと手を合わせた。あれほど締め付けられていたはずの心が、どこかホッとした。志半ばで逝った先人たちの無念を思えば、前を向くしかなかった。

 「(土佐の)上士と下士じゃないけど、昔の人たちのことを思えば、オレは本当に恵まれてる。つらいこともあるかもしれんけど、できることを精いっぱいやろう」

 翌11日に、矢野は早朝から鳴尾浜球場のグラウンドにいた。若手選手とともに、ウオーミングアップで汗を流した。患部に腫れと痛みがあったためキャッチボールはできなかったが、その後は上半身のウエートトレーニングを黙々とこなした。落ち込んでいる暇など、どこにもない。頭にあるのは、たった一つのことだけだった。「キャッチャーとしてもう一度、試合に出たい」。2番手捕手だった中日時代、抱き続けていた感情が、いま甦ろうとしていた。

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