阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語35】好事魔多し…快進撃中に左肩鎖関節脱臼

[ 2018年11月29日 06:00 ]

2002年4月13日、クロスプレーで左肩鎖関節脱臼の重傷を負った矢野の戦線離脱ともに猛虎の快進撃は止まった
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 矢野が抱いていた不安は杞憂(きゆう)に終わった。阪神監督に就任した星野仙一は、事あるごとに矢野をつかまえた。

 「テル、あいつはどんな性格や?」

 表面的なプレーは分かっても、内面までは分からない。星野は選手個々をきちんと理解するために、矢野を頼った。

 「監督はオレらと一緒に戦ってくれるから」

 矢野もまた、ナインに星野の本分を伝えて回った。相互に理解が進むと、チームはやがて戦う集団へと変わる。02年シーズン。開幕7連勝を含む12戦10勝というハイペースで、阪神は快進撃を続けた。

 「うまくリードしている。でないとあそこまで投手は抑えられない」

 星野は開幕ダッシュのMVPに矢野を挙げていたが、痛恨のアクシデントが起こった。4月13日の横浜戦(甲子園)の本塁クロスプレーで「左肩鎖(けんさ)関節脱臼」の重傷を負う。戦線復帰は5月21日の巨人戦(甲子園)までずれ込み、星野阪神は失速した。

  ◇  ◇  ◇ 

 甲子園から遠く離れた仙台では、恩師である東北福祉大野球部監督・伊藤義博がガンと闘っていた。00年冬に肝臓ガンを摘出。手術は無事に成功した。

 「オレは監督に復帰するから」

 明けた正月、仙台に呼ばれていた教え子の聖望学園高野球部監督・岡本幹成は、伊藤からの思わぬ申し出に驚いた。

 「もう少し、休まれた方がいいですよ」

 「それはできへん。オレはどうしてもユニホームを着たいんや」

 何事もなかったかのように、春の沖縄キャンプにも監督として参加。01年の大学野球選手権ではチームを8強に導いた。ただ、夏の声を聞いて病状は再び悪化する。岡本の携帯電話が鳴った。

 「骨に転移しているみたいや。温熱療法を試したい。すまんが探してくれへんか?」

 岡本は全国各地の病院を探し回った。ようやく1件を見つけたが、ドクターからは逆に尋ねられた。「患者さんに心臓疾患はありませんか?」。伊藤にはかねてから不整脈があった。失意の岡本が伊藤に事情を告げると、伊藤は「そうか。すまんかった」とねぎらった。

 それでも伊藤の野球への情熱はいささかも衰えなかった。病院食はマネジャーに任せて外出し、関係各所との付き合いを欠かさなかった。自分の体調よりも、野球部員の就職、未来を案じた。

 矢野も何度か見舞いに行こうとしたが、伊藤はそのたびに断った。

 「大丈夫や。シーズンが終わってからでいい」

 入退院を繰り返しながら、伊藤は懸命に闘っていた。

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