阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語32】野村克也との出会いが運命を切り開いた

[ 2018年11月26日 06:00 ]

1999年7月25日、プロ9年目で初出場したオールスターで適時打を放ち、巨人・長嶋監督(左)に拍手される
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 甲子園球場の大歓声が誇らしかった。球場全体が「矢野コール」に包まれている。表彰台から見えるこの景色を、忘れることはないだろう。1999年7月25日。プロ9年目にして初出場したオールスターは、矢野を温かく迎えてくれた。

 「和田さん、藪、新庄と同じ声援をもらえた…。オレもようやく阪神の一員になれたかな」

 地元で開かれた夢の球宴は、阪神いや、阪神ファンに初めて認められた瞬間だったのかもしれない。6月9日に単独首位に立ったこともあり、監督推薦により選出。昨年オフに手術した左ヒザの影響を全く感じさせず、バットでも打率3割台をキープしていた。

 「後半戦に向けていい自信になった」

 シーズンの勢いを、そのままぶつけたような一戦だった。2回に右前適時打を放つなど、2安打1打点。守っては全4投手を好リードし、フル出場を果たした。試合後には、チームメートの新庄剛志らとともに、優秀選手賞を受賞。全く予期していなかった賞金100万円もゲットした。

 名捕手・野村克也との出会いが、矢野の運命を切り開こうとしていた。ヤクルトを退団した98年オフに、阪神監督に就任。ヤクルトを3度の日本一に導いた名将でもある。99年2月1日の春季安芸キャンプ初日。矢野は早くもイズムの一端に触れることとなった。

 「高橋由伸のような天才は技術的な能力で3割打てるけど、おまえらはせいぜい2割5分。その差を埋めるとしたら頭を使うしかないんや」

 野村の一言一言が新鮮だった。野村が暗にほのめかしたのは、投手との対戦ではなく、捕手との対戦だった。自分に置き換えれば、どうだろう。捕手である以上、相手のリードを読み、相手キャッチャーとも勝負してきた。ただ、それが万事徹底できたかと問われれば、そうではない。

 打者にとっての見逃し三振は、褒められたものではない。むしろ、怖さの方が先立ってくる。それでも野村は、これでもか、と畳みかけてくる。

 「100%、キャッチャーと勝負せえ」

 矢野も腹をくくった。不動の正捕手の座を手にするためには、打撃でも何かを変えなければいけない。それも、中途半端ではダメだろう。投手と勝負するという感覚は一切捨て、捕手との駆け引きに専心することを己の定めとした。

 後半戦に入っても、矢野はコンスタントに成績を残し打率・304でシーズンを終えた。初の規定打席到達で、これまた初の3割達成。飛躍への足がかりをつかんだ。

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