阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語40】「常に投手の立場で…」苦労報われた2度目のV

[ 2018年12月4日 06:00 ]

2005年9月29日、胴上げ投手となった久保田(中央)と抱き合い喜びを爆発させる矢野(右)らナイン
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 充実感だけでいえば、2003年を上回っていた。矢野が再び大輪の花を咲かせたのは05年。自身2度目のリーグ優勝は、矢野の力が大きかった。

 「後ろにはあいつらがいてくれている。何とかそれまでをいい形でつないでいこう」

 キャッチャーとして腕の見せどころだった。この年、藤川球児、久保田智之、ジェフ・ウィリアムスによる「JFK」が結成された。試合終盤に欠かすことのできない勝利の方程式。チーム打率がリーグ3位の・274だったのに対し、投手力、守りの野球で活路を切り開いていった。防御率はセ・リーグトップの3・24である。勝因は明らかだった。

 監督・岡田彰布は絶大な信頼を寄せていた。藤川にしても、久保田にしても発展途上の投手。先発として11勝を挙げた安藤優也、同じく9勝をマークした杉山直久ら若手投手の底上げは、矢野の存在にあった。

 「ようアドバイスしてるよ。正捕手としてな。投手は信頼しきっとる。首を振ることもあんまりないやろ。矢野に任せてたらええんよ」

 指揮官と直接言葉をかわす機会はめったになくとも、その思いは矢野にも伝わってくる。15年目を迎えた矢野にとって、勝たなければいけないプレッシャーは年々大きくなっている。やりがいでもあったが、それは時に重荷にもなる。試合後に矢野が見せるとびきりの笑顔は、ほんの一瞬だけ訪れる安らぎの時間でもあった。

 「明日こそは休ませてもらおうか…」

 試合を終えロッカーへ戻る頃には、心身とも疲労がピークに達する。シーズンが進んでいくに従い、蓄積されていく疲労。弱音を吐きそうになったこともある。それでも試合後にシャワーを浴び終える頃には、もう翌日の試合に向けて気持ちは動き出していた。「これだけみんなに信頼されてるのに、ぜいたくは言われへん」。チームのため、投手のため、矢野はグラウンドに立ち続けた。

 「今年は若い投手陣が頑張ってくれたし、前回の優勝とは、そういう意味で少し違った気がします。2回優勝できて、チームに力がついてきた」

 9月29日の巨人戦(甲子園)で優勝を決め、矢野はどこか誇らしげにシーズンを振り返った。

 実は、勝った試合ほど眠れなかった。「もっとこうしてあげれば良かったかな」。たとえ好投を引き出しても、反省は尽きない。もちろん、うれしさと興奮もある。常に投手の側に立って、物事を考えようとした。同学年・下柳剛も最多勝を獲得。投手を生かし、自分も生かされた。苦労の報われた1年だった。

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