阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語31】山本昌に止められ…寂しさだけが残った初退場

[ 2018年11月25日 06:00 ]

1998年6月25日、クロスプレーをめぐり森球審を突いた矢野(中央)を制止したのは山本昌(左)だった…
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 阪神移籍1年目となった1998年は、開幕直後からレギュラーの座をつかんだ。5月5日の中日戦(甲子園)以降は、スタメンに定着。2番手捕手だった中日時代がウソのように、来る日も来る日も試合をこなした。

 「川尻はキレとコントロールが良かった。周りはノーヒットノーランを気にしたと思うけど、僕は勝つことを一番に考えていました」

 倉敷であった5月26日の中日戦で、さらに評価を不動のものとする。川尻哲郎を好リードし、ノーヒットノーランをアシストした。矢野自身にとって2度目となる快挙だった。

 その後も順調に先発マスクをかぶったが、がくぜんとする出来事が訪れた。ナゴヤドームで行われた6月25日の中日戦。試合は0―0のまま、終盤戦へと突入する。そして、7回裏の守り。2死一塁から8番・中村の打球は左翼線へはじき返された。一塁走者・立浪は本塁へと突入。矢野は立浪が滑り込んでくる時に背中へタッチしたが、森球審の判定はセーフだった。

 「アウトでしょ!」

 まさかの判定に、矢野は森球審の両肩を両手で1、2回突いた。その続けざまに、森球審は「退場!」のコール。両軍が入り乱れる修羅場となったが、怒りをぶちまける矢野を制止したのは意外な人物だった。

 「テル、やめろ。おまえの気持ちは分かるけど、怒るな!」

 矢野が後ろを振り向くと、相手チームの山本昌が必死になってなだめてくれている。矢野は不思議と冷静になった。

 「オレはまだ、チームの一員ではないんやな」

 チームの勝利のためだけに、すべてを賭している。それが、どうだ。荒れ狂う自分の気持ちをおもんばかってくれるのは、残念ながら阪神のチームメートではなかった。プロ8年目で初の退場は、矢野にとって寂しさ以外の何も残らなかった。

  ◇  ◇  ◇ 

 2010年9月8日、山本昌は自身の公式HP「路傍の一球」で、矢野の現役引退を惜しむメッセージを残した。

 『移籍後は長年レギュラーを務め、人気もあって、まだ現役のボクが言うのも何ですが、いい野球人生を送ることができたのではないでしょうか』(原文まま)

 後日、山本昌は矢野の退場シーンをこう振り返っている。

 「次の日の新聞で“まだ一員になれていない”というコメントを見たときは切なかったよ」

 山本昌は後輩を思い、心を痛めていた。矢野が名実ともに阪神の一員となるまでは、もう少し時間が必要だった。

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