阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語11】「初ヒットやな」星野監督の手が温かかった

[ 2018年11月5日 06:00 ]

1991年8月26日、矢野は甲子園での阪神戦で初本塁打を放った(右)
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 出発を待つ帰りのバスは、水を打ったような静けさだった。最下位を独走する阪神に3―4で惜敗。広島と優勝争いする首位・中日にとって、痛恨の1敗に違いなかった。最前列では星野監督がにらみをきかせ、明かりすらもついていない。矢野は慌ててバスへ乗り込む。暗がりの中、座席を目指すと、不意に星野に呼び止められた。

 「おい、おまえ、初ヒットやな」

 思いも寄らない言葉をかけられると、続けざまに手を差し出された。むろん、星野の表情はこの上なく険しい。矢野が恐縮しながら右手を出すと、ガッチリと握り返してくれた。「オレのことなんかを…」。手のひらから伝わるぬくもりに、ルーキーは感激を隠せなかった。1991年8月26日、甲子園球場。プロ通算7打席目の初ヒットは、記念すべき初ホームランでもあった。

 「全部空振りでもいいから思い切ってバットを振って帰ってこよう」

 1―4の9回だった。2死一塁。野田が投じた初球ストレートを、思い切り振り抜いた。持ち味でもあるライナー性の飛球が、左翼席へ向かっていく。夢中で一塁ベースを回ると、左翼手・中野が追うのをやめた。代打2ラン。スタンドインを見届けたが、全力疾走のままホームまでを駆け抜けた。前夜の阪神戦は代打で見逃し三振。味わった悔しさを、渾身(こんしん)のスイングで晴らした。

 父・偉夫の誕生日前日の7月27日に1軍初昇格を果たしたが、結果の出ない試合が続いた。初出場の8月3日、阪神戦(ナゴヤ)は空振り三振。13日の広島戦から前夜25日まで3打席連続三振を喫していた。

 一向に出口の見えないトンネルである。悔しさ、焦り、ふがいなさという感情が、矢野をがんじがらめにしていた。応援してくれる友人、知人はもちろん、大阪にいる両親もさぞ心配してくれていただろう。矢野は数日後、生まれて初めて両親へ手紙を書いていた。

 「僕のことは心配しないでください。親父もおふくろも、体に気をつけて」

 短い文面ではあったが、父・偉夫には行間から感謝の思いが伝わってきた。名古屋から送られてきたA4サイズの茶封筒には、第1号のホームランボールも同封されていた。プロの厳しい世界で闘う息子からの、精いっぱいの親孝行だった。

    ◇    ◇    ◇

 後年、星野は当時の心境をこう語っている。

 「記念すべきスタートなんだから、そこは敏感にならないといけない。きちっと称えてあげないとな。阪神に負けたのは別にしてね」

 星野の、星野たるゆえんだった。

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