阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語24】順調デビュー一転 まさかのメンバー落ち

[ 2018年11月18日 06:00 ]

順調に1年生からリーグ戦デビューを果たした矢野(右端)だったが…
Photo By スポニチ

 大阪を離れての心細い生活に終止符を打てたのは、やはり野球の存在だった。他の1年生数人とともに、矢野は春季キャンプのメンバーに選ばれたのである。徐々に仲間ともうち解け、同じくキャンプに選ばれた1年生・長浜屋寛と過ごす時間が多くなった。

 普段は気さくで、話しやすい矢野だったが、ユニホームを着れば別人になった。オープン戦でのこと。矢野と長浜屋はバット引きを担当していたが、矢野がおもむろに話しかけてきた。

 「なあ、ハマヤ、オレらなんで試合に出られへんねやろ。使ってほしいよな」

 今回の春季キャンプは、上級生からなるレギュラー組にとっては生き残りをかけた戦いでもある。なのに入学したての矢野は、怒った口調で不満を漏らしている。私生活で見る矢野の姿からは想像もつかない。長浜屋は軽い衝撃を受けるとともに、矢野の野球に対する熱い思いをいや応なく感じ取った。

 チャンスは少なかったが、ぎらついた感情も後押しし矢野は早々にリーグ戦デビューを飾る。1987年4月25日。開幕から3試合目、東北工大戦で代打出場した。結果は凡退だったが、続く秋のリーグ戦も主に三塁を守り5試合に途中出場。9月2日の東北大戦ではマスクもかぶった。

 順調に1年生からリーグ戦デビューを果たしたが、試練は2年生で訪れた。春季キャンプにはレギュラー扱いでの参加が決定。大学野球における矢野の前途は洋々たるものになるかと見えた。

 例年、東北福祉大の春季キャンプは関西地方からスタートする。通常の練習以外にも多数のオープン戦を組み、徐々に東へ移動していく。その際に数日間滞在用の拠点を設けるのだが、拠点を移すたびにメンバーもふるいにかけられていく。1988年3月。第3クールとなる東京の宿舎で“事件”は起きた。

 宿舎へ到着するとまず、メンバーはマネジャーから順次、ルームキーを渡されていく。上岡良一、山路哲生、大塚光二らの名前が読み上げられるが、一向に矢野の名は出てこない…。

 不思議に思っていると、最後まで矢野の名前が出ることなく、宿舎の部屋割りは終わった。同級生の長浜屋と矢野の2人が、仙台へ強制送還されることになったのである。「何でやろ?」。後日、判明したメンバー落ちの原因は、伊藤監督から叱責(しっせき)されたことで、矢野が感情を顔に出したためであった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る