阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語5】阪神残留を決めた恩師・星野の言葉

[ 2018年10月30日 06:00 ]

闘将の言葉が矢野を阪神残留に導いた
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 2009年のオフ、矢野は翌10年シーズンを特別な思いで迎えようとしていた。ケガに泣かされた09年は狩野に正捕手の座を譲り、わずか30試合の出場に終わった。これまでは不動のレギュラーとして「チームのためだけ」を考えてプレーしてきた。だが、不本意な1年を経験したことで、選手としてこれまでと違った感情が芽生えていた。

 「ダメなら最後の年になる…。それなら自分のためだけに、悔いのない1年を送ろう」

 言うまでもなく、自分本位に野球をやるという意味ではない。自分自身のために野球に打ち込むことが、結果としてファン、チームを喜ばせることにつながる、という考えだった。

 大減俸に追い打ちをかけるように、城島の加入も決定した。長年、プロの世界を勝ち抜いてきたから、メジャーリーガー捕手獲得の意味が持つ大きさは嫌というほど理解できた。一つしかないキャッチャーというポジション。城島の補強は同時に、キャッチャー・矢野の出場機会が激減することを意味していた。

 「最後の1年は勝負したい…」。マスクをかぶる自分を想像するたび、気持ちは徐々にタテジマから離れていった。自由契約を申し出て、他球団への移籍を真剣に考え始めた。眠れない日々を過ごす中、阪神への愛着はあっても、選手としての本能を抑えきれなかった。11月。「ご相談があります」。最終決断を下すにあたり、矢野は阪神SD・星野仙一(18年1月逝去)のもとを訪ねることにした。

 指定された芦屋市内のホテルには、真っさらなスーツで向かった。「そんな格好して、どないした?」。星野は顔を合わせるなり笑ったが、緊張は解けなかった。喫茶店で向かい合い、矢野はこれまでの経緯、心境を明かした。星野は一つ一つの思いを、黙って受け止めてくれた。やがて、星野が口を開いた。

 「テル、来年で20年か。よう頑張ったやないか」。思わぬねぎらいの言葉が、胸に響いた。阪神のために身を粉にしてきた教え子の姿を、星野は見ていた。自身が指揮官として勝ち取った03年の優勝も、矢野なくしてはあり得なかった。

 「チャンスではよう、打ってくれたな」。恩師からの感謝の言葉が、どれだけありがたかったことだろう。自分が歩んできた道のりは、決して間違ってはいなかった――。そう思えると、自然と涙がこぼれてきた。

 「阪神に残って、勉強せえ」。阪神残留を勧める星野の言葉は絶対だった。この瞬間、迷いは消えた。背水のプロ20年目。全てを受け入れ、矢野は来季の阪神残留を心に決めた。

※肩書は2010年当時のまま

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