阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語44】冬の思い出…大目玉くらったスキー旅行

[ 2018年12月8日 06:00 ]

桜宮高校時代、同級生数人とスキー旅行(前列左)(矢野家提供)
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 矢野はガッツポーズで部室へと戻ってきた。来春の選抜出場にかかわる秋季大阪大会の抽選会。キャプテンとしてクジを引いてきた矢野は、不安な表情を浮かべる仲間に笑顔で言った。

 「初戦は近高やわ!」

 初戦の相手はPL学園、上宮、東海大仰星らと肩を並べる強豪私学・近大付である。「ウソやろ…」。肩を落とす部員を尻目に、矢野は歓迎ムードを漂わせた。それが本心かどうかは分からない。ただ、矢野のその姿に、副キャプテン・大前浩文をはじめとする仲間も、必勝を誓った。

 新チームから主将に就任した矢野は黙々と練習に打ち込み、その背中で引っ張ってきた。「自分にない部分はあいつらがサポートしてくれる」。矢野は副主将の二塁手・大前、河本栄得(故人・ベイブルース)に、大きな信頼を寄せていた。口数の少ない矢野に代わって、大前は言葉でもサポート。河本は後輩とのパイプ役を務め上げた。

 真夏の厳しい練習を終え、いよいよ近大付との初戦である。1985年9月1日。近大付グラウンドでの一戦は、7回を終了して桜宮が1点をリードしていた。だが、8、9回に逆転され3―6で敗退。事実上、選抜の道は絶たれた。

 「オレがあそこで捕れてたら…」。左翼手・下山勝仁は悔やんでも悔やみ切れなかった。逆転の口火となった左越え打は、わずかに下山のグラブをかすめたのだった。最後の夏へ向けてスタートした冬の猛練習。下山は矢野と2人1組のパートナーを組んでいた。

 アップ、キャッチボールに始まり、やがて腹筋、背筋などの強化メニューに移っていく。目の前の矢野は100回のところを、110回やる勢いである。秋の雪辱に燃える下山は「ならばオレは120回」と意気込んだ。矢野を中心にまとまっていくチーム。午前7時には始まる月〜金曜の朝練も、矢野は一番乗りでグラウンドにいた。

 厳しい練習に明け暮れる中、楽しい思い出もあった。年が明けた86年1月。矢野は監督の許可をもらい、瓜破中からの同級生である成田勉ら数人と信州へのスキー旅行に出かけた。

 資金調達のため、冬休みの数日間はアルバイトにも励んだ。成田と2人で自宅近くのジャスコで鮮魚店の売り子を経験。「安いですよ!いかがすか〜」。野球で鍛えたよく通る声で、矢野は次々とお客さんを集めた。

 スキー旅行は最高に盛り上がったが、一つだけ誤算があった。「おまえらケガしたら、どないするんじゃっ!」。熱血コーチ・岡田龍生からは大目玉を食らった。

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