阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語34】期待と不安…複雑だった恩師・星野監督就任

[ 2018年11月28日 06:00 ]

2001年12月18日、闘将・星野仙一(中央)が猛虎の指揮官に就任した
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 夢の実現に向かって、努力することの大切さを伝えたかった。2001年12月7日。矢野は母校・大阪市立瓜破中を講演のために訪れていた。

 「夢を実現するためには努力することです。自分には大きな可能性があると信じ、あきらめないで努力してほしい。きっと報われると思う。僕にもまだ可能性があると信じたい。だから、あきらめないで一緒に頑張っていこう!」

 全校生徒、特に高校受験を間近に控えていた中学3年生は大いに励まされたが、それは矢野自身に向けられた言葉でもあった。同年も正捕手として119試合に出場したが、チームは4年連続の最下位に沈んだ。前日6日には球団が監督・野村克也の辞任を発表。悔しさだけが募る1年で結果には恵まれなかったが、キャッチャーとして地道な積み重ねを怠ったことはなかった。

 「オレには特別な能力があるわけじゃない」

 自らを厳しく客観視し、常にピッチャーのことを第一に考え続けた。リード面はもちろんだが、細かい部分にも気を配った。ボールが汚れていれば奇麗にしてから返球したし、ワンバウンドは身をていして必死に止めようとした。ホームベースの土も、投球の合間に何度も何度も払った。

 「レギュラーになった自分には責任がある」

 2番手捕手だった中日時代は、自分自身のことで精いっぱいだった。試合でマスクをかぶれば、正捕手・中村武志にはない配球をしようとした。当時はそれが自分の生きる道だったが、時には投手にとって投げにくいこともあっただろう。ここまでの阪神移籍後4年間は、新たな発見の連続だった。

 母校での講演を終えてすぐに臨んだ契約更改交渉の席では、衝撃のニュースが飛び込んできた。

 野村監督の辞任を受け、球団はこの日、中日前監督・星野仙一への監督要請を正式に決めたという。

 実は、矢野には妙な予感めいたものがあった。勝負師特有の第六感とでもいうのだろうか。「星野さんが監督に来られるかもしれんで」。妻・裕子にも冗談半分で、そう話していた矢先だった。

 「グラウンドを離れたらすごく優しい方。でも勝ちに執念を燃やす監督だと思う」

 記者に囲まれた矢野は歓迎ムードを漂わせたが、少なからず不安もあった。何しろ、矢野をトレードで放出した張本人である。ようやくレギュラーの座をつかんだのに、オレはこの先どうなるのか…。チームが強くなることを確信する一方、複雑な感情が矢野の胸中に渦巻いていた。

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