阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語39】中村が何度も感嘆した「粘り強いリード」

[ 2018年12月3日 06:00 ]

2003年5月29日、3回1死、中村は左越えにソロホームランを放つ(捕手・矢野)
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 横浜のベンチから戦況を見つめる中村武志は、矢野というキャッチャーが持つ強さを痛切に感じていた。2002年に中日から移籍。03、04年のシーズンは2番手捕手として、チームに貢献していた。

 「矢野はものすごく粘り強いリードをするな…」

 中村が感嘆の息を漏らしたことは一度や二度ではない。同じキャッチャーというポジションにいるからこそ、阪神投手陣の良さを最大限に引き出す矢野の好リードに目を奪われた。

 20代前半から中日の正捕手だった中村にとって、2番手の座に甘んじるのは初めての経験だった。長年にわたりレギュラーを務めてきた男にとって、これほどつらいことはない。それでも中村は我慢強く、定位置をつかみつつあった相川亮二(現・ヤクルト)のリードに目を凝らした。なぜなら、相川と同じようなリードであるならば、首脳陣は中村を出場させる意味を簡単に見いだせない。つまり中村が試合に出るためには、何にも増して相川という捕手を知る必要があるのだ。

 「矢野の強さは若い頃に2番手だったことだろうな。今の矢野は1人であっても2人のリードができるんだから」

 中村の鋭い分析は、矢野という捕手の強みを端的に表していた。矢野もまた中日時代、ベンチから中村のリードを必死になって見つめていた。試合出場のチャンスを与えられれば、中村にはないリードを見せようとした。たとえ負けゲームであっても、何とかして試合を立て直そうとした。血のにじむような努力が、今になって中村にも分かる。

 「若くしてレギュラーになったオレや谷繁、城島にはない部分を矢野は持ってるんだ」

 横浜時代、相川ら後輩捕手と食事をともにした際は、矢野の良さを中村なりの感性で伝えようとした。当時の矢野にとって1イニング、いや1球たりともムダにできるものはなかったのである。阪神移籍後もなかなか勝てなかった。その中に名捕手・野村克也との出会いもあれば、勝負の厳しさを叩き込まれた星野仙一との再会もあった。その積み重ねが、2003年の優勝であろう。阪神を常勝軍団へ変えようとする矢野の姿に、中村は感慨深いものがあった。

 「今思えば、中日で一緒にできたのは幸せなことだったのかも…。矢野がいたからこそ、オレも頑張れた。オレの野球人生にとって、矢野は欠かすことのできない選手だったのかな」

 中村が楽天でユニホームを脱いだ05年、矢野は自身2度目のリーグ優勝を果たす。重なり合うそれぞれの節目が、どこか因縁めいていた。

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