阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語23】母へ仲間へ…誓いを胸に涙の旅立ち

[ 2018年11月17日 06:00 ]

東北福祉大に入学したてのユニホーム姿(矢野家提供)
Photo By 提供写真

 涙をこらえるのに必死だった。新たな旅立ちの朝。矢野は18年間住み慣れた大阪市平野区の実家を離れ、いよいよ仙台へと向かう。縁もゆかりもない東北の地。息子に待ち受ける苦難を思うと、母・貞子は朝から胸が張り裂けそうであった。

 「お母さん、駅まで送っていくわ」

 玄関を出てそう告げると、矢野はやんわりと貞子を制した。

 「ええねん。友達が駅で待ってくれてるから。もう、ここでええよ」

 病弱だった貞子は、3きょうだいの末っ子に十分な手をかけてやれなかった。「せめて旅立ちの日ぐらいは」と思っても、息子の言葉に従った。

 「気をつけて…」

 軒先で送り出した貞子は、遠ざかっていく矢野の背中を見つめることしかできなかった。「何もしてあげられなくて、ごめんね」。あとはもう、仙台での4年間を、無事に過ごしてくれることを願うだけだった。

 新大阪駅の新幹線ホームには、桜宮高野球部の仲間がたくさん駆けつけていた。別れの時が迫っている。乗り継ぎを含めると仙台まで7時間はかかるだろうか。それだけで憂うつになる。激励の言葉を聞く度に、矢野の涙腺も決壊寸前だった。

 「アキちゃん、これ新幹線で聞いてや」

 仲間の一人から、カセットテープを手渡された。出発してすぐにイヤホンをつけると、レコーダーから流れてきたのは長渕剛の「HOLD YOUR LAST CHANCE」だった。

 人生の岐路に立たされたとき、勇気や力を与えてくれる一曲に、一人涙した。東京で野球に打ち込む夢はかなわなかった。それでも自分は再び、野球と向き合えることができる。人生で初めて味わった挫折を、ムダにはできない。そして何より、伊藤監督に恩返しをしなければならない。移りゆく景色を眺めながら、矢野は心に誓った。

    ◇    ◇    ◇

 東北福祉大野球部の寮は6畳間、二段ベッド二つからなる4人部屋だった。親元を離れて、初めての寮生活。「何もかも与えてしまうのは学生にとって良くない」。首脳陣の考えもあり、それは過酷な環境だった。

 球心寮はデパートの女子寮を借り上げたもので、テレビは禁止。電気代がかかるため暖房もNGだった。入れ代わり立ち代わり150人が入る風呂場は、1カ所でしか洗えない。お湯にありつけるのは4年生だけ。新入生の矢野がつかる湯舟は、泥で真っ黒だった。

 野球の練習以前に、生活リズムをつかむことに必死だった。「オレ、福祉でやっていけんのやろか…」。そんな時、伊藤から春季キャンプ参加を告げられた。

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