阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語27】キャプテンとして全日本大学選手権へ

[ 2018年11月21日 06:00 ]

東北福祉大のころ(矢野家提供)
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 宴もたけなわになってくると、1学年上のキャプテン・大塚光二(元西武)は、必ず矢野を呼びつけた。

 「おい、あいつちょっと騒がしいから、ぶつけてくれ」

 監督・伊藤義博の方針もあり、東北福祉大の上下関係は必要最低限のものだった。ただ、こういう場面での命令には逆らえない。この日の大塚は目の前にある、唐揚げの皿を指さしている。

 「分かりました!」

 5メートル前方でばか騒ぎしている先輩に、矢野が狙いを定める…。

 「誰や、オレに唐揚げ投げたん!」

 正確無比なコントロールで、またまた見事に的中した。犯人捜しに躍起となっている先輩をよそに、大塚と矢野は素知らぬふりで会話している。

 「おまえ、完ぺきやな」

 「ありがとうございます!」

 大塚に命じられれば、ウインナーでも、ピザでも、フライドポテトでも何でも投げた。そして、そのたびに命中した。まさに百発百中。ひたむきに野球に打ち込むあの矢野が、まさか犯人だとは誰も思わない。

 3年生までは、4年生の追い出しコンパも活躍の場だった。毎年、仙台市内のホテルで開催されるのだが、野球部員以外にも保護者、一般の人なども参加する。「矢野、名前知れてるから、おまえなんかやれよ」。同級生の勝山聖介らに勧められるまま、舞台に立った。

 「あいつ、意外とやるやんけ」

 先輩の評価は上々だった。これまたグラウンドでは想像できない矢野の姿がそこにはある。伊藤監督のものまねもやったし、同級生とのショートコントにも挑んだ。関西出身のメンバーが多かったから、要求されるレベルは自ずと高くなる。それでも堂々とぼけ、会場の笑いを誘っていた。

  ◇  ◇  ◇ 

 1990年度のキャプテンの座は、大塚から矢野へと受け継がれた。のみ込みが早く、試合も練習もそつなくこなした。大塚が矢野へアドバイスした記憶は全くない。「おまえしかおらん。頼むぞ」。それほどまでに大塚は矢野を信頼していた。

 副キャプテンには石田稔之が任命された。試合では三塁コーチを任されることが多かったが、名門・PL学園の出身である。「オレは下手だ」と割り切り、その分、精神的な部分でチームを支えようとした。

 「おい、矢野を怒らせたらアカンぞ」

 チームの空気が緩むと、石田が敏感に察してムードを引き締めた。悲願の日本一へ。春の仙台六大学はコールドの連続で、順当に全日本大学野球選手権へ駒を進めた。

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