阪神新監督・矢野燿大物語

【矢野燿大物語38】悲願達成の瞬間、一番に歓喜のマウンドへ

[ 2018年12月2日 06:00 ]

2003年9月15日、優勝を決めティファニーのトロフィーを囲んでポーズする矢野(右)
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 全てのスケジュールを終えた頃には、夜が白々と明けていた。91年の中日入団から、どれほどこの瞬間を待ち望んだことだろう。それなのに、自分はもう、つかの間の眠りにつこうとしている。「楽しい時間は、すぐに終わるんやな…」。できることならもう少し、優勝の余韻に浸っていたかった。

 「こんなにたくさんのファンに応援してもらってきたのか」

 バスから見えるその景色に、矢野は大きなパワーをもらった。03年9月15日。マジックを「2」として甲子園に戻った阪神は、大阪市内の高級ホテルから全員で球場へ向かった。午前9時すぎに選手を乗せたバスが到着すると、甲子園は人波であふれかえっていた。これ以上、ファンを待たせるわけにはいかない。広島を迎えてのデーゲームは、何が何でも勝つしかなかった。

 試合は終盤まで1点を追う展開だったが、8回に片岡篤史の中越え本塁打で同点に追いついた。最後は赤星憲広の右越え打でサヨナラ勝ち。ついに王手をかけたのである。

 マジックの対象だったヤクルトが試合をしていたため、ナインは一塁ベンチからスコアボードでモニター観戦していた。そして、ヤクルトが敗れ18年ぶりのリーグ制覇が決定。プロ入りからこれまでの13年間の思いをぶつけるように、矢野は誰よりも早くマウンドへと飛び出していった。

 監督・星野仙一の胴上げ、ビールかけ、選手が集まっての祝勝会…。歓喜の嵐に身を委ね、瞬く間に時が過ぎていった。さきのロード6連戦は1分け5敗と苦しんだが、それも生みの苦しみに過ぎなかった。

 キャッチャー冥利(みょうり)に尽きる1年だった。イニングの合間には、たびたび星野からゲキをとばされていた。

 「2イニングは引っ張ってくれ」

 「もう1イニングいけるか?」

 チームの戦力として頼りにされている自分がいる。のしかかる重圧も相当なものだったが、ゲキを受けるたび矢野は意気に感じていた。

 「絶対に抑えたる」。チーム打率・287という強力打線の陰に隠れがちだったが、先発陣はもちろんジェフ・ウィリアムス、安藤優也、吉野誠らのリリーフ陣もグイグイと引っ張った。

 恐怖の7番打者としても勝利に貢献した。いずれも自己最高となる打率・328、14本塁打、79打点の堂々たる数字。「チームのためにいい働きができたかな」。優勝の陰に名捕手あり。矢野は選手として絶頂期を迎えようとしていた。

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