【高校野球 名将の言葉(12)報徳学園・福島敦彦監督】「まだ赤くて……。これは勝ったなと」

[ 2022年8月16日 07:30 ]

1974年センバツで初優勝を飾り、胴上げされる報徳学園・福島敦彦監督
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 1974年の第46回選抜高校野球大会。報徳学園の福島敦彦監督は、安定した制球力で打たせて取るタイプの右腕・住谷正治と、落差あるカーブを武器に空振りを取れる左腕の東芳久の2投手の継投を基本に接戦をものにし、準決勝の平安(現龍谷大平安)戦は住谷が105球で完投勝利。初の決勝進出を決めた。決勝の相手は「さわやかイレブン」と称され11人で勝ち上がってきた池田だった。

 「蔦さんもお酒が好きなのは知っていた。ともに下馬評は高くなく、そろって決勝に行くとは思っていなかった。明日、頑張りましょうと生意気なことを言いに行ったら一杯やりましょうということになった」

 池田の蔦文也監督らと宿舎近くの店に行って野球談議に花を咲かせ、日付が変わるくらいまで飲んだという。そして、翌日の試合前に蔦監督の顔を見て「まだ赤くてふらふらしているように見えた。これは勝ったなと思った」と笑う。

 試合は1点を先制した直後の7回、先頭に住谷が安打を許したところで東に交代する大胆采配もみせたが「(全試合、交代時期に関しては)躊躇(ちゅうちょ)することはなかった。自信をもってやった」という。8回に同点とされたが、その裏に3長短打で2点を勝ち越し。初優勝を飾った。

 翌年も1回戦で対戦。1点を追う8回に3点を奪い4―2で逆転勝ちした。この時も飲んだという。福島監督にとっては、ともに“勝利の美酒”だった。

 ◇福島 敦彦(ふくしま・あつひこ)1940年(昭15)12月15日生まれの81歳。報徳学園では遊撃手で主将だった3年夏に兵庫大会決勝で敗れ甲子園出場なし。慶大、社会人野球の鐘紡でプレーし72年秋に報徳学園監督に就任。73年から3年連続で選抜出場し74年に優勝を果たす。76年から慶大、82年から中山製鋼で、それぞれ監督を務めた。

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