【高校野球 名将の言葉(3)近江・多賀章仁監督】「今日の試合は100試合くらいの値打ち」

[ 2022年8月7日 09:00 ]

2021年8月23日、大阪桐蔭に勝利し、ナインと喜ぶ近江・多賀章仁監督
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 コロナ下で息遣いまで感じることはできなかったが、画面越しからでも興奮冷めやらぬといった感じで近江・多賀章仁監督の熱い思いが伝わってきた。

 「こんな勝利は後にも先にも初めて。甲子園での1試合は練習試合の30試合分くらいと思っていたが、今日は100試合くらいの値打ちがある」

 21年夏の選手権大会2回戦。優勝候補の呼び声高かった大阪桐蔭と甲子園での初対戦だった。2年生の主戦・山田陽翔が2回までに4点を先取される苦しい展開の中、3回にスクイズで1点を返すと4回は本塁打、5回は犠飛でともに1得点。7回に追いつくと8回は敵失と連続四球で得た2死満塁から途中出場していた山口蓮太朗の2点二塁打で逆転勝利を飾った。

 多賀監督は、83年に同校コーチとなり野球部長を経て89年に監督に就任。自身6度目の出場となった01年夏に滋賀県勢として春夏通じて初めて決勝進出を果たした。勝ち上がるにつれ実力以上の力を発揮するナインの姿に「甲子園が育ててくれる」と聖地の偉大さを実感。「甲子園で勝てるチーム」を試行錯誤しながら求め続けてきたが、01年夏以降で8強入りしたのは03年春(8強)だけだった。

 「一つの転機となったのは間違いない」と振り返るのが18年夏。1回戦で同年選抜準優勝校の智弁和歌山と対戦し、3本塁打を浴びせて逆転勝ちした。智弁和歌山とは毎年のように練習試合もしており「高嶋先生の背中を見てやってきた。大金星です」と珍しく本塁打した選手を抱きしめ、勝利をかみしめた。この夏は金足農に2ランスクイズで逆転サヨナラ負けしたが夏は01年以来の8強だった。

 多賀監督は滋賀県彦根市出身だが、高校は京都の平安(現龍谷大平安)に進んだ。当時、滋賀の高校野球は八幡商が選抜で2度8強入りしたのが最高成績で全国で勝負できるチームは皆無。有能な選手は県外の高校に進学することが多く、その流れは時を経てもなかなか変わらなかった。それでも、「100試合分の値打ち」を経験し最上級生となったスター候補の山田は滋賀県出身だ。甲子園で優勝経験がないのは滋賀を含め14県。多賀監督は60歳を超え、涙腺が“決壊”しやすくなると同時に「大きな壁」を打ち破る力は増している。

 ◇多賀 章仁(たが・あきと)1959年(昭34)8月18日生まれ、滋賀県彦根市出身の62歳。平安(現龍谷大平安)では内野手で甲子園出場なし。龍谷大では捕手。83年に近江に赴任し野球部コーチとなり野球部長を経て89年に監督就任。92年夏に甲子園出場を果たし春夏通算20度出場で24勝(8月6日現在)。近江高校副校長。

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