都市対抗優勝のドラフト候補が電撃引退、吉田叡生氏はセカンドキャリアに全開

[ 2021年6月25日 06:00 ]

中大時代にプレーした神宮球場前で笑顔を見せる吉田叡生氏(撮影・柳内 遼平)
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 昨年の社会人野球・都市対抗はHondaが09年以来11年ぶり3度目の優勝を飾った。ドラフト候補だった左の強打者・吉田叡生外野手は「1番・右翼」で全5試合に出場。13打数6安打、打率・462で打撃賞を獲得。特筆すべきは11四球で脅威の出塁率・708。1番打者として最高の働きでチームを優勝に導いた。2年目で解禁となったドラフトでは指名を逃したが、輝かしい未来を予感させた。

 頂点に立ったチームの誰も吉田の引退を予想していなかった。引退をチームに伝えたのは優勝翌日の12月4日。「入社して2年でプロにいけなければ、野球を辞めると決めていました。自分を拾っていただいたHondaさん以外のアマチュアでプレーする気持ちもありませんでした」。次年度の戦力として計算されていたが、決断は変わらなかった。

 都市対抗開幕の約1か月前、10月26日のドラフト会議を機に引退を決めていた。コロナ禍の影響で数少ない公式戦となった都市対抗予選で2本塁打を放つなどアピールした吉田には2球団から調査書が届いていた。

 「私は“目玉選手”ではなかったので、4順目から気合いをいれて見ました」。だが、吉田の名は呼ばれぬまま、唯一、8巡目まで指名した阪神に「選択終了」のアナウンスが流れた。社会人選手への育成指名はない。「あの“選択終了”が私にとって“野球人生終了”でした」。寮の自室で野球との別れに涙を流した。

 夢は叶わなかったが、最後の仕事があった。「自分を育てていただいた会社のために何かを残したかった」。佐野日大、中大を経て入社した社会人野球の名門。自らの野球人生で学んだ集大成を発揮。最後の恩返しを都市対抗優勝という形で歴史に刻み、男はユニフォームを脱いだ。

 今年1月から「TFPグループ」で保険営業を担当する。6月下旬でも、バッチリとスーツにネクタイ。「お客様のニーズに合わせた保険を提供したい。“何かあれば吉田に”という存在になりたいです」。爽やかに笑う顔には充実感があふれる。吉田叡生24歳。第2の人生が始まった。

 ◇吉田 叡生(よしだ・としき)1996年7月15日生まれ、栃木県下野市出身の24歳。小学2年で野球を始める。南河内第二中では栃木下野シニアでプレー。佐野日大では3年春に甲子園出場。中大では1年秋からベンチ入り。Hondaでは都市対抗に2度、日本選手権に1度出場。1メートル73、83キロ。右投げ左打ち。

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