【木内監督追悼連載(3)】野球の未来を気にかけていた木内氏 若い高校の監督にも懇切丁寧に教える

[ 2020年11月28日 08:00 ]

17年、木内幸男旗少年野球の野球教室で子どもたちに守備の指導をする木内氏
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 高校野球で茨城の取手二、常総学院の監督として春夏通算3度の甲子園優勝を果たした名将・木内幸男氏が24日に肺がんのために死去した。享年89。大胆な用兵や戦法を駆使した「木内マジック」で甲子園通算40勝。多くの高校野球ファンを魅了し続けた名将の足跡を振り返ってみる。

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 野球界の将来を見ていたのだろう。木内氏は少年野球にも目を配っていた。少年野球は野球界の裾野。事あるごとに言っていた。
 「野球をやる子供たちが少なくなってるもんな。多くの子供が野球をやれば、それだけいい選手が育ってくんだよ」。とりわけ、地元・茨城県を中心とした少年野球の活動事情を気に掛けていた。

 7年前。取手二の教え子たちが中心となって開催していた少年野球大会で、大会名に木内氏の名前を冠したいと頼まれた。「まだ死んでなかっぺ。生きてるうちはいいんじゃねえの?」。そう遠慮しながらも「仕方なかっぺ」と了承した。「木内幸男旗少年野球大会」(スポニチ後援)は昨年、7回目を迎えて県内を中心に38チームが参加。木内氏は開会式と閉会式、野球教室にも出て子供たちの姿を熱心に見守った。

 木内氏は毎年、子供たちに「今のうちから高いレベル、プロを目指しなさい」と呼びかける。そして指導者たちにも「子供たちが夢を叶えられるように指導してください」と力説。裾野の広がりが野球界のレベルアップにつながる。子供たちが野球界の未来を支えていく。2年前の野球教室のときは、当時87歳にも関わらず守備の実演までしてみせた。

 来る者拒まず――。木内氏は高校野球の指導者たちにも、教え子に限らず聞かれれば何でも答えた。チーム作りや指導方法。「木内さんに教えられた」という監督は数多い。以前、ある甲子園常連校の監督から「どうしたら甲子園で勝てますか」と教えを請われたときのこと。懇切丁寧に答えた後に、その監督が30歳代だと聞いてすぐに連絡した。「この前言ったことは忘れなさい。アンタはまだ若いんだ。思い通りにやればいい。自分の考えがセオリーだと思ってやりなさい」。自らの信念で指導し、失敗を重ねて指導者として成長していく。木内氏自身、21歳に監督となって甲子園初出場まで25年、初優勝まで32年かかってる。その若い監督の情熱があれば甲子園で勝てるチームを作れると信じていた。

 コロナ禍の今年、「第8回木内幸男旗少年野球大会」は中止となった。木内氏は開催を楽しみにしていたという。ちなみに、2年前の大会で初優勝した都和南スポーツ少年団の大木宏紀監督は常総学院の教え子。その大木監督の長男・投哉君が大会で好投した。「木内イズム」は裾野にも広く浸透し、永遠に受け継がれていく。=終わり=

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