【藤川球児物語(16)】フォーム修正「上から叩け」で変わった 体に合った山口コーチの助言

[ 2020年11月28日 10:00 ]

山口高志コーチの助言で新フォームを身につけた藤川球児
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 運命の一言だった。「ケガばかりしているのは、フォームに原因があるのと違うか」――。04年の春、失意の藤川球児に、2軍投手コーチ・山口高志がかけた言葉だ。

 投球フォームに関しては、自負があった。研究し、工夫も重ねてきた形。いい状態のときのボールには自信もあった。簡単に変えられるものではない。だが、2月キャンプ、そして3月の2軍教育リーグで2度も続けて「右肩腱板(けんばん)炎」を発症。どこかに問題があるということも受け入れられる状況にあった。ドラフト同期の福原忍が02年オフに右肩を手術し、山口の指導で順調に回復していた姿も見ていた。

 山口は「上から叩くように投げてみろ」とアドバイスを送った。体を真っすぐにして立ち、軸足の右足を折らずに倒れ込むような形で入り、右腕は上から下へ振り抜く形だ。「上から叩け」は山口自身が兵庫・市神港時代に、監督・高木太三朗から教わったフォーム。伝説の速球王を生んだスタイルを、そのまま藤川に伝授した。

 それまでの重心の低いフォームは下半身から上半身への横回転でひねりを生み出すが、腕を振るときには縦に振る。このとき右肩に負担がかかるというのが山口の見立てだった。

 「上から叩け」「右膝に土をつけるな」――。15メートルほどの距離で正対してキャッチボールし、肩と肘の動きを確認した。右膝に膝痛患者用のギプスを装着し、右膝が折れない感覚を持たせることにも取り組んだ。

 一度決めたら、のみ込みも早かった。頭に描いたイメージ通りに体を動かすことは得意だった。加えて、右肩腱板炎が回復するまでの間、リハビリで下半身をしっかり鍛え直した。さまざまな要素が火の玉を生み出す下地になっていった。

 5月下旬から鳴尾浜でブルペンでの投球練習を再開した。ボールに目立った変化はなかった。それでも、2度3度とブルペンを経験する中、藤川は気づいた。「痛みがない」「違和感もない」。合っていたのだ。藤川の体に。=敬称略=

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2020年11月28日のニュース