池山2軍監督が見せてくれた2枚の写真 勉強になったノムさんとの日々

[ 2020年2月18日 09:30 ]

かつてのヤクルト1軍キャンプ地だった宮崎・西都で発見した写真を手にする池山2軍監督
Photo By スポニチ

 ヤクルトの2軍キャンプ地、宮崎・西都は雨が降っていた。2月15日。かつて1軍キャンプ地だった場所にも、11日に急逝した元監督の野村克也氏(享年84)を追悼する献花台が設置された。教え子でもある池山2軍監督も献花を行い、そのことについて尋ねようとした時のことだった。

 「おう、いいもの見せてあげるよ」。そう言って、コーチ室となっているプレハブ小屋に入った池山2軍監督が手にしていたのは2枚の写真だった。写っていたのは、現役時代の西都キャンプでの一コマ。「ブンブン丸」と呼ばれていた現役時代に野村監督と王さんと一緒に写っている写真だった。「今回、(献花台に)飾る写真を選んでいるときに西都市の方からいただいたんだよね…」。世界一でもあるプロ野球最多本塁打記録を持つ王さんと2位の野村監督と、背番号1のユニホームを着た池山2軍監督が写っている写真。当時を思い出しながら、その写真を眺める指揮官の何とも言えない表情が印象的だった。

 記者は担当記者として07年から、野村監督の最後の監督生活となった09年の楽天を取材。70歳を過ぎていた野村監督の姿は今でも鮮明に思い出すことができる。健康にいいと離さなかった「カバノアナタケ茶」と特製コーヒーを傍らに、ベンチで行われた囲み取材や試合後の会見。「マー君、神の子、不思議な子」のフレーズも生で聞いたし、野球論やゴシップネタまでいったい何百時間、監督の話を聞いたのだろうか。訃報に接してから、振り返ることが改めて多くなった。楽天という球団が東北に根付く大きな役割を果たしたのは、間違いなく野村監督だった。

 当時の楽天は野村監督の発信能力との相乗効果で、話題の爆発力があった。1イニング2発の満塁弾が飛び出したり、監督批判をした外国人選手がTシャツ、短パン姿でポケットに手を突っ込んだまま謝罪して、さらに指揮官を怒らせたり…。サヨナラ勝ちの試合では「トイレに行っていたらなんか盛り上がっていて、“ああ、勝ったのか”と思った」と劇勝の瞬間をトイレで見逃したり…。

 野球も勉強になり、ネタにも困らない3年だった。野村監督、本当にお世話になりました。(記者コラム・春川 英樹)

続きを表示

この記事のフォト

「大谷翔平」特集記事

「始球式」特集記事

2020年2月18日のニュース