【ノムラの遺産7】マー君人気&ボヤキで注目度上げ楽天変えた

[ 2020年2月18日 08:00 ]

09年、監督通算1500勝を挙げた野村監督にウイニングボールを手渡す完投勝利の田中(右)
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 最後に指揮を執ったのは、杜の都だった。06年に楽天監督に就任。翌07年、田中将大(現ヤンキース)と出会う。野村監督の「最後の遺産」である。

 70歳で就任した1年目の06年は借金38で2年連続の最下位に沈んだ。05年に誕生したばかりの新興球団。歴史の浅い球団内には老将への懐疑的な空気があった。「阪神ではずっと最下位だったんでしょ」と疑問視する声。田中も入団からしばらくは肩身の狭い思いをしていた。注目のルーキー。本人の耳に届くように嫌みを言うベテラン選手もいた。

 その風向きを野村監督と田中は、結果で変えていった。「野球選手は見られる商売。注目されることは成長の力になる」。ヤクルト時代にも「どんどんテレビに出なさい」と選手に奨励した野村監督は、田中の入団で激増した報道陣を利用し、田中の話題を振りまき、メディアの露出が増えるように仕向けた。名語録「マー君、神の子、不思議な子」――。田中人気とボヤきの相乗効果で、狙い通りに注目度は上がった。

 田中も期待に応え、11勝で新人王を獲得。「野村再生工場」で復活した山崎武司も本塁打、打点の2冠王に輝き、07年は4位と躍進した。野村監督への懐疑心、田中への嫉妬は消え、楽天が「戦う集団」に変貌する元年になった。最終年の09年は2位で球団初のCSに進出し、ユニホームを脱いだ。

 田中は野村監督との出会いを「僕の野球人生における最大の幸運の一つ」と感謝する。野村氏が亡くなる4日前の7日にキャンプへ向けて渡米。契約最終年について「評価するのは他人ですから」と言った。それは「人間の価値は他人が決める」という恩師の持論と重なった。

 監督生活を終え、解説者として足を運ぶ球場には教え子の監督、コーチが増えていった。あいさつを受けるたびに「少しは野球界に貢献できたのかな」と漏らし、照れ笑いを浮かべていた。「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すを上とす」。野村氏は常々、そう説き、自らにも言い聞かせていた。今季、12球団で現役時代に指導を受けた監督は6人もいる。野村氏が球界に残した、大きな大きな「遺産」だ。(特別取材班)=終わり=

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