【内田雅也の追球】戦績と鯔背と遺伝子――巨人に挑む阪神“優勢”の材料

[ 2019年10月9日 08:00 ]

東京ドーム敷地内に建つ「鎮魂の碑」
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 東京ドーム周辺を歩くと足が向く。敷地内に建つ「鎮魂の碑」である。昼食の前に立ち寄った。

 日中戦争や太平洋戦争で戦死したプロ野球選手の功績をたたえるため、1981(昭和56)年、当時の後楽園球場脇に建てられた。東京ドーム完成の1988年、今の場所に移設された。現在73人の名前が刻まれている。

 沢村栄治(巨人)、景浦将(タイガース)の名前がある。日本のプロ野球は沢村が投げ、景浦が打って始まった――と言われたスターである。プロ野球(当時は職業野球)初年度の1936(昭和11)年の年度優勝決定戦で名勝負を演じた。

 阪神は9日からこの地でクライマックスシリーズ(CS)・ファイナルステージを戦う。相手は宿敵の巨人だ。

 沢村―景浦の対決を思い、そして思い立ったので調べてみた。阪神―巨人のポストシーズンの成績だ。阪神から見た勝敗を記してみる。

 ▽1936年●○●
 ▽1937年○○○●●○
 ▽1938年○○○○
 ▽2010年●●
 ▽2014年○○○○
 ▽2015年●○●

 36年は勝ち点が同点で並び、37、38年は春秋2季制で、年間王者を決める優勝決定シリーズがあった。07年には現在のCS制度ができている。こうして見ると、通算14勝8敗、6割3分6厘の高勝率だ。37、38年は2年連続日本一、最近では14年のファイナルステージ4連勝が記憶に新しい。

 ただ、今回は阪神は明らかに劣勢にある。レギュラーシーズンは10勝15敗と負け越した。優勝した巨人とのゲーム差は最終6・5あった。また阪神はファーストステージで投手が疲弊し、相手の巨人は休養十分ときている。

 だが、野球は<変幻無限>で<強いものが必ずしも勝負に勝てない>と作家・評論家の虫明亜呂無(むしあけ・あろむ=1923―1991年)が古い雑誌『ベースボールマガジン』に書いていた。

 虫明は初年度のプロ野球を観て、阪神の魅力を知っている。<阪神はあきらかに洗練されていた。巨人の田舎くささにくらべると、ハイカラで粋で鯔背(いなせ)であった。阪神のほうが都会チームに映った>=『時さえ忘れて』(ちくま文庫)=。つまり、阪神の方が強く見えたのだ。

 初年度のエース、若林忠志は最初に誘われた巨人を蹴り、阪神入りしている。ハワイ出身の日系2世で、モットーは「Go for broke」(当たって砕けろ)だった。「初代巨人キラー」と呼ばれた西村幸生は同郷(宇治山田)の沢村への対抗心もあった。「強気をくじき、弱きを助けろ」が身上だった。「打倒巨人」の気概は創設時からあったのだ。その遺伝子は今の猛虎たちにも引き継がれていよう。何しろ、シーズン3位の今の阪神には失うものなどない。

 もちろん、シーズン終盤からファーストステージで見られた神懸かり的な粘りや一丸の姿勢、実戦勘もある。

 戦績も鯔背も遺伝子も……阪神が奮い立つ材料はそろっている。=敬称略=(編集委員)

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2019年10月9日のニュース