上野 宇津木麗華監督とともに歩んだ復活の道「ここで恩返しができるよう戦いたい」

[ 2021年7月22日 05:30 ]

東京五輪 ソフトボール   日本8-1オーストラリア ( 2021年7月21日    福島県営あづま球場 )

<日本・オーストラリア>5回途中、上野(右)の交代を告げる宇津木監督(撮影・会津 智海)
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 上野にとって、宇津木麗華監督はかけがえのない存在だ。01年に実業団入りした当時からの先輩であり、日本代表として一緒にメダルを目指した同志。そして、選手と指導者となった今も、強い絆で結ばれている。「ずっとここまで一緒に歩んできた監督なので、ここで恩返しができるよう戦いたい」

 投手としての成長へ導いてくれたのも、宇津木監督だ。04年アテネ五輪後、日本のホープだった上野の指導を拒み続けた米国の指導者を口説き落とし、武者修行へと連れだったのは、引退したばかりの宇津木監督。当時身につけた変化球や投球術が強固な土台となり、08年北京の金メダルにつながった。

 ソフトボールが五輪競技から外れ、上野は燃え尽き症候群のような状態に陥った時期もあった。引退も頭に浮かんでいた時期に、唯一モチベーションになったのが、11年に代表監督に就任した“恩人”を支えることだった。12、14年の世界選手権連覇に貢献。しかし、恩師が15年末に監督を降りると、エースも代表を辞退した。16年10月に五輪代表監督に就任すると、上野も再び五輪への覚悟を決めた。

 この日の先発は藤田という見立てもあった。勝利後の会見で、宇津木監督は「一番経験がある上野しかいないと思っていた」と悩まなかったことを明かし「上野が18歳の時からここまで、そばで見ているのは一番自分が多い。感無量です」と喜んだ。指揮官としての五輪初勝利。プレゼントしたのは、20年以上も師弟関係を続けてきた愛弟子の上野だった。

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