G1周年記念競走展望

【尼崎G1 センプルカップ】和田兼輔 地元周年勝機アリ「全速スタートを」

[ 2018年7月23日 05:30 ]

地元・尼崎周年に臨む和田兼輔
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 24日に迫った開設66周年記念「G1尼崎センプルカップ」。追加配分での参加が決まった地元・兵庫の和田兼輔に急きょ、本紙・尼崎担当の是石記者がロングインタビュー。これまでの選手生活を振り返りながら、熱く胸の内を語ってくれた。(取材は6月17日・尼崎ボートレース場にて)

―今節はオールスターの優勝エンジンを引きました。中島孝平の前節に乗っていたのが和田選手。エース機を2回続けて引くのは、かなりの強運の持ち主。

【和田】そのアドバンテージを、センプルカップにつなげられるようにしたいですね。尼崎は一般戦でたくさん呼んでもらっているから。4月はF休みだったけど、他の月は全部走っています。

―尼崎では14年、17年、18年に優勝しています。いずれもイン逃げですね。

【和田】今までの優勝(10回)で、1号艇で乗ったら一回も負けていません。尼崎でもスタートが難しいときはありますが、全速で行けるスタートを心がけています。勝つ確率が高いやり方で。起きなかったら、前には行けないから。勝てる方法を考えて仕掛けています。

―デビュー11年目となりました。目指しているところは。同期(桐生順平)がSGを取ったことで刺激を受けることはありますか。

【和田】見習いたいです。今回のG1も、いいエンジンを引けたら、自分にもチャンスがあると思っています。

―選手生活のこれまでを振り返って。

【和田】10年前(08年10月とこなめ)に左腕をケガして、9カ月間走れませんでした。乗れなくなって、若いなりに気づくことも多かったですね。ずっと乗りたい乗りたいと思っていました。(再起不能とも心配された大ケガ、リハビリを乗り越えて復帰。12年前期には初のA1に昇格した)。

―ギャンブルはしないと聞きましたが、どうしてボートレーサーの道に?

【和田】体がちっちゃいし、スポーツをしても負ける部分があった。帰宅部でした(笑い)。大学生までボートの世界は知らなかった。たまたま、中央競馬の松山弘平さんと、親同士が友だちだったんです。ボートレーサーはどう?と言われて、尼崎に見に行って、ペアボートに乗りました。吉田俊彦さん(和田の師匠)が操縦してくれました。

―もし選手になっていなかったら、就職していましたか。超難関のボートレーサー養成所は、何度目の受験で突破?

【和田】実家が貿易系の商売をしているので、大学で経営学を勉強して家業を継ぐつもりでした。でもボートのことを1回生の夏に知って、冬に受験して、春に入学。ポンポンと決まりました。

―神戸市灘区で育った。

【和田】阪神大震災のとき、家から見える神戸の街に、火の手がたくさん上がっていた。子どものときに見たその記憶は強く残っています。一生忘れられないです…。(このインタビューの翌日、大阪府北部を震源とする地震が発生。尼崎ボートも施設の故障で、開催中止を余儀なくされた)

―地元周年への思い、ファンへのメッセージを。

【和田】感謝しています。出させてもらえるのは、うれしいですね。出走表に「兵庫」って書いていたら、いつも来ているお客さんが買ってくれるかもしれない。尼崎はお客さんとの距離も近いので、励みになります。まずは予選突破が目標です。

 ◆和田 兼輔(わだ・けんすけ)1986年(昭61)12月28日生まれの31歳。100期生として07年5月尼崎で初出走。09年7月尼崎で初優出、13年2月平和島で初優勝を飾る。通算48優出、10回V。同期に桐生順平、秦英悟、松崎祐太郎ら。1メートル64、血液型A。

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