乙武洋匡氏 始まりは公営バスへの抗議 ジョージア会長の認知度上昇への願い

[ 2021年8月29日 05:30 ]

ジョージアのパラリンピック委員会会長を務めるラティ・イオナタミシュビリ氏(左)と乙武洋匡氏。右はティムラズ・レジャバ駐日大使
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 【乙武洋匡 東京パラ 七転八起(5)】友人でもあるジョージア臨時代理大使からご縁をいただき、ジョージアのパラリンピック委員会会長を務めるラティ・イオナタミシュビリ氏とお会いした。またとない来日の機会に、障がい者支援を通じた交流を図りたいとの思いから、私に白羽の矢を立てていただいたのだ。

 健常者として生まれたイオナタミシュビリ氏は23年前から車椅子生活となったが、障がい者にとっていかに生きづらい社会であるかに気づかされ、権利獲得運動を開始。2016年からはジョージアで国会議員を務めているという。10年ほど前に首都トビリシで公営バスが新車を購入することになったが、コスト面からバリアフリー非対応の車両を選択。それに抗議する運動に参加したものの、結局は当初の予定通り車椅子ユーザーが利用できない車両の購入が決まってしまったことに落胆。「当事者が意思決定に加わらなければ」との思いを強くしたことが国会議員を目指す動機となったという。

 ジョージアでパラリンピック委員会が設立されたのも2003年と決して早くはなかったが、そこからは長足の進歩を遂げてきた。設立から5年後の2008年には初めてパラリンピックに選手を派遣。今大会には13人の選手を送り出すまでになった。

 「これまでは障がい者問題を語ること自体がタブー視されている風潮がありましたが、近年になってようやく解決すべき社会課題なのだと認識されるようになりました」

 障がい者に対する人々の意識の変化とともにパラスポーツの認知度も上がってきている。

 「今大会、初めて公営放送でテレビ中継されるようになったんです」

 イオナタミシュビリ氏はそう声を弾ませるが、ジョージアにとって今大会初のメダル獲得となった車いすフェンシングは中継がなかったという。

 「今後はもっと放送される競技数を増やしていきたいですね」

 日本だけでなく、世界中でパラスポーツが盛り上がることを願っている。

 ◇乙武 洋匡(おとたけ・ひろただ)1976年(昭51)4月6日生まれ、東京都出身の45歳。「先天性四肢切断」の障がいで幼少時から電動車椅子で生活。早大在学中の98年に「五体不満足」を発表。卒業後はスポーツライターとして活躍した。

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