純烈・酒井一圭 高卒たたき上げで上場企業社長になった亡き父へ敬意「よう頑張った人なんやな」

[ 2021年8月29日 16:04 ]

純烈の酒井一圭
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 歌謡グループ「純烈」のリーダー酒井一圭(46)が29日、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」(日曜前10・00)にゲスト出演し、15年に死去した父・伸一さんについて語った。

 酒井自身が「仏のような父」と評する伸一さんは、「普通のお父さんをしてくれた人で、後楽園ゆうえんちにヒーローショーを小さいころに連れて行ってくれたり、多摩動物公園に連れてくれたり」と、幼少期にたくさんのことを経験させてくれたという。

 父は188センチの長身で、高校ではバスケットボールで活躍した。大学からも誘いがあるほどだったが、祖父が病に倒れ、金銭的な事情などもあって進学を断念。高校卒業後に就職したという。酒井によると、父はまじめな性格で、「小学校、中学校、高校、会社、無遅刻無欠席なんですよ。延々。人生、無遅刻無欠席。どないなってんの?というくらいの人」と明かし、パーソナリティーの安住紳一郎アナウンサー(48)を驚かせた。

 父の就職先は日本橋梁。「橋を作る会社に勤めていたんですけど、そこから設計のところから、営業で転勤してっていうところから、社長さんにまでなって」。ちょうどそのころ、酒井も戦隊ドラマ「百獣戦隊ガオレンジャー」で、ガオブラックの役をもらった時期だった。父からは電話で報告を受けたという。「『何かあったんか?』って言ったら、『社長になった』って。『大丈夫や。俺もガオレンジャーになったから、1年間は大丈夫』って言って。そんな会話、思い出で残ってますけどね」と笑った。

 安住アナは「日本橋梁なんて立派な会社ですよ。東京湾のアクアラインの橋を作ったり、瀬戸大橋とか。東証1部の上場企業の社長に、工業高校出身のエンジニアがなるって、サラリーマンだからちょっと信じられない」と感嘆の声を上げた。

 酒井が純烈を結成した後も、営業先で父の偉大さを実感する出来事があったという。「ディナーショーとか企業パーティーとかをやっていると、端っこの席から僕のところにばーっと走ってくるおじいちゃん、おばあちゃんがいて。握手しながら『どないしたん?』って言ったら、『伸一さんにお世話になったんです』って」と明かした。さらに「仕事の関係だったり、関係各所で、『お父さんが』『お父さんが』というのを、純烈やりながら知れるというかね。よう頑張った人なんやな」と敬意を表し、「息子として乗り越えようと思って挑みましたけど、勝てなかったですね」と本音を口にした。

 純烈は18年、NHK紅白歌合戦に初出場した。その勇姿を父に見せることはできなかった。「『夢は紅白、親孝行』と言っておきながら、紅白の前に父は亡くなっているので、こういうことってあるなって」とポツリ。それでも、「喜んでいると思います。ほんまに支えてくれたんで」と天国の父へ感謝していた。

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2021年8月29日のニュース