柳葉敏郎 デビューのきっかけは中村泰士氏の言葉「自分の心の中を読まれちゃったという悔しさがあって」

[ 2021年5月28日 14:43 ]

柳葉敏郎
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 俳優の柳葉敏郎(60)が28日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。デビューのきっかけについて語った。

 還暦を迎えた柳葉は「徹子の部屋」に初登場。これまで出演しなかった理由について「何度か声をかけていただいててですね。この番組を自分なりに拝見させていただいて。叩けばほこりだらけの人生だったので。はだかにさせるのがとても怖くてですね。のみの心臓なもので」と語ると、「60を迎えてふっきれたと言いますか。黒柳さんにはちゃんとお会いして、ちゃんとした柳葉を見せておかないといけないのかなと。そんなつもりで覚悟して」と姿勢を正した。

 秋田出身の柳葉は、83年に「劇男一世風靡」を結成し、「一世風靡セピア」で歌手デビュー。同時期にフジテレビ「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」でレギュラーを獲得。全国区の人気を得た。

 上京のきっかけは、高校卒業後に予備校に通っていたが、「ろくに行かずにぶらぶらしてまして。出席率が今までで一番少ない生徒だったんじゃないかと思うくらい。これじゃいかんということで。うっぷん晴らして受験に向かおうと」と地元で行われた日本テレビ「スター誕生!」のオーディションに参加。そこで作曲家の中村泰士氏から「君たちは歌を甘く見てる」と指摘されたことだったという。

 歌手になりたくて受けたオーディションではなかったが、「自分の心の中を読まれちゃったという悔しさがあって。その悔しさがずっと残ってて。その中村先生に向かって行けるのは東京しかないな」と続いて「劇団ひまわり」のオーディションを受け、合格。「東京行って芸能界に行って何ができるかといったら役者の道なのかな、嫌いじゃないな」と思い、「友達にカンパしてもらいながら。資金を集めて」上京することを決意した。

 それまでは親に内緒にしていたが、上京する前に打ち明けると、母は反対したというが、「ばあちゃんが背中を押してくれたんですね」と柳葉。「この子が自分の道を決めたのは初めてだろうと。だったら行かせてやんなさい」との温かい言葉をかけてもらい、上京が決まったものの、いざ家を出るときに祖母は「なあ敏郎、今ここで東京に出ていくって言うことは、どうなったらこの敷居をまたいで帰って来れるか分かって出ていくんだな」と一言。「何だよ、応援してんじゃねえのか、って思ったけど、その言葉がずーっと支えになって。今があるのかなって感じですかね。もともとばあちゃん子っていうのもあったんですけど、ありがたい言葉だったですね」と振りかえった。

 そんな祖母に孝行ができたかと聞かれると、「おかげさまで一世風靡セピア、『欽ドン!』って言うのがあって。テレビで『欽ドン!』を見てもらって、一世風靡セピアでは地元のコンサートに足を運んで見に来てもらって。ま、喜んでもらえたかなと。多少できたかなと思いますね」と笑顔を見せた。

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